無機質な建物の中を、様々な人々が行き交う。話し声の他に重い荷物を担いだ車輪の音や、機械的な道案内の音声が飛び交っているので、なかなかにやかましい。
片隅に設置されたソファーに腰を掛け、その喧騒に耳を傾けるダイブマンの表情は非常に明るかった。このような人いきれを、彼は嫌っておらず、むしろ好んでいる所があった。
「四十五番でお待ちのお客様、お待たせいたしました」
職員の声が聞こえ、ダイブは勢いよく立ち上がる。重量のある彼が座っていた事で、著しく瞑れていたソファーは急激に膨らみ、隣に座っていた中年の男がわ、と驚きの悲鳴を上げていた。それに頭を下げて後、カウンターへと向かったのである。
「お待たせいたしました、ダイブマン様、こちらが入国許可証です」
数枚の書類と、小さなカードを渡される。それらをきっちりしまってから、向かい側に立つ男の顔を見た。先ほどの顛末を見てしまったのだろうか、その面には職業柄の愛想笑い以外の物が混ざっているようだった。
「出国の際には、先ほどお渡ししたカードを、港の出国管理室ではなく、こちらに返却して下さい。滞在期間を延長される場合は、帰国予定日一日前にご連絡下さい。それでは、観光を楽しんで来てください」
説明を受け終わってすぐに、ダイブは出口へと向かう。途中、自分の脇を駆けてゆく子供の姿を目にし、いつも使っている出入り口……パトロール隊員用通路との違いを改めて感じていた。
今日、この国を訪れたのは仕事ではなく、あるロボット……ポンプマンに会う為だった。
ポンプマンはロボットエンザ騒動で、熱暴走を起こした一体である。かの騒動の後、ダイブマンは様々な都合から、完治した彼の面倒を見ており、気心があったのだろうか、今でも連絡を取り合う仲だった。
「こんな休暇の使い方ってのも、ありっちゃありだよな」
休暇は基本、コサック研究所で過ごすと決めている。オーバーホールの為に、と言うのもあるが、実際はあまり会えない家族と過ごしたいからである。
しかし今回の休みは、スケジュールの関係で突然できたものだった。期間も故国に帰るには短すぎていた為、さてどうしようかと、考えている時に、この国にポンプマンが住んでいる事を思い出したのだ。向こうの都合もあるだろうし、と思いながらも連絡を取ると、彼は自分の訪問を喜んでくれた上に、観光案内の役も買って出てくれたのである。
メモを片手に、ポンプマンが住む町に向かうバスに乗り込む。住所を見ながら、電話越しで仕事の関係で迎えが出来ない、と悔しそうにしていた彼を思い出し、ダイブは小さく頬を吊り上げていた。
バスに揺られ、ポンプの住む町に辿り着いた時、辺りは茜色に染まっていた。時に地図を見、時に人に道を尋ねながら、ダイブはようやく、ポンプがねぐらにしている建物に辿り着いた。
「これが、職員寮で……あっちが、処理施設ってやつか」
目の前の小ざっぱりした建物の後ろには、いくつかの仰々しいタンク類が控えている。通常、このような施設からは独特の臭いが漂っている物だが、そのような香は一切感じられず、周りに植えられた木々の香りの方が強かった。
「あ、ちょっと、すいません」
丁寧な人の声に、ゆっくりと振り向く。肩にタオルをかけた作業着の男が、少々不審そうに自分を見つめていた。
「申し訳ないですが、ここは職員関係の方の立ち入りはお断りしていて……こちらに何か用ですか?」
若葉色のつなぎの左胸部分を見ると、下水処理施設、と縫い付けられている。自分の身分と、こちらを尋ねた訳を伝えると、警戒を解いたのか、男の顔はすぐに穏やかになった。
「アンタがそうか、ポンプがいつも話してくれているよ。今日もあんなに喜んでいたのにねぇ」
そうですか、と相槌を打ちかけ、ダイブは男の言葉を思い返し、表情を改めた。
「喜んでいた、って……ポンプに何かあったんですか?」
ダイブが声をかけた途端、男は何かまずい事を言った、とでもいうように口に手を当てた。
「どうしたんですか、ポンプは、まさか」
男の肩を掴み、思わず声を荒げて迫ってしまった。が、彼が怯えている事に気づき、ダイブはすぐに頭を下げた。
「実は……いや、ここで話すよりも事務所の方がいいな。ちょっと一緒に来てください」
男に連れられ、下水処理施設の事務室に足を踏み入れると、そこは相当な数の職員が集まっていた。どの顔も不安と焦燥に彩られ、つられてダイブの動力炉の回転も上がってゆく。
「お、どうしたんだ、そのロボットさんは」
人だかりの中央にいた、おそらく責任者だろう人物が、こちらに気づき一斉に顔を上げる。一身に視線を受け、思わず後退ったが、ひとまず自己紹介をすると、人々はにわかに色めきだった。
「貴方がコサック博士の……お名前は良く耳にしています」
「それで、ポンプはどうしたんです? オレでよければお手伝いします」
「ええ……部外者の方にこのような事を話すのは、少々問題があるかもしれませんが、……しかし事態が事態になるかもしれません。実は、ポンプが見回りから戻ってこないんですよ」
責任者の言葉にダイブは耳を疑った。自分の職場である海だったならば、そんな事が起こってしまっても不思議には思わない。しかしここは下水処理施設だ。広さの如何は知らねども、戻ってこられない程ではないだろう。
「どちらに行ったかもわからないんですか?」
「いいや、それはなんとかわかっていまして……」
男は小さな端末を取り出し、右端のボタンを一つ押す。小さな沈黙の後、微かな音と共にホログラムが浮かび上がった。
「これはこの施設の見取り図です。事務室は、ここ、地上階にあります。この浄水場の大体の処理施設は地下に設置してあるんです。それで、ポンプは……」
クリックと共に地図が素早く入れ替わる。ある画面に辿り着いた時、指先はぴたりと動きを止めた。複雑な、指でなぞってもわからなくなりそうな程に曲がりくねった道の先に、小さな青い光が心細げに灯っていた。
「ここ、地下五階の下水道の所にいるんですよ」
「下水道? なんでそんなところに……」
首を傾げて呟くダイブに、隣に立っていた若い男は見せつけるように肩を竦めた。
「そんなの俺達もわかりませんよ。ただ、あいつ、そんな所に行く前に、奥の方から声がした、って言って……」
「声……?」
いよいよもって事態は不可思議な方向へと傾きだす。失礼かもしれぬが、こんな場所に人間か何かがいるものだろうか。
「ま、まあとにかく、ポンプはこの位置に来てからちっとも動いていないもんでしてね……。あいつは責任感のあるやつだから、多分確認しに行って、そこで何か故障が起きたか何か、したと思うんですよ。助けに行かなきゃならん、にしても、ポンプは重量があるもんで、職員全員で行っても運べるかどうか……」
ちら、と男がダイブの方を見る。その視線の意図を理解し、なるほど、と訪問者のロボットは頷いた。
「わかりました。俺も手伝いましょう」
「ああ、ありがとうございます。良かった、助かった」
張りつめていた空気が面白いほどに解け、まだ浮かべてはいけないと理解しながらも、ダイブは笑みを作ったのである。
暗く、狭い通路の中は質量を持った匂いが充満し、呼吸をしただけで体が重くなったような気がした。水路を流れる物の色は、元が水であると分からぬ程濃く、液体と言うよりは固体になりかかっているような気すらする。
ポンプを探す為、職員の一人と共に下水道に下りたは良い物の、想像していた以上の場所に、ダイブは少々不安に襲われていた。
(ポンプは、こんな水をきれいにしていてくれたんだなぁ)
彼の仕事に改めて感心しながら辺りを見回す。嗅覚は少し前に遮断したが、触感だけでも臭いがわかってしまう。ダストの働く廃棄場でも同じ物を感じたが、ここは空気の入れ替えもないから、それ以上のようだった。
くぐもった水の流れと、自分達の足音が円形の壁に反響し、多人数が歩いているように錯覚する。少々不気味になり、足音を細めた途端、感じていた物が錯覚ではなく、本物だったとダイブは気づいた。
後ろから、軽い足音が一つ響く。男やロボットのものでなく、どうも女性のようである。恐る恐る後ろを向くと、別の水路へと続く小道へと走る、人の影が一瞬目に入った、ような気がしたのだ。
思わず出そうになった悲鳴を飲み込み、先頭を歩く職員の方へ顔を向ける。ここが明るい場所であったなら、きっと笑われていただろう。なにしろ、自分でもわかるほど、顔の血の気、いやオイルの気が下がっていたのだから。
「ここには、誰かいるんですか?」
「ん、ああ、いるよ。それもかなりの人数がなぁ」
問いかけへの返答は、力が抜ける程あっさりとしていた。あまりに平然と返されてしまい、深くを尋ねようとする気力さえ削がれてしまったほどである。
「貧しい連中が、結構入り込んでいるのさ。中にはテレビやベッドまで持ち込んで、快適に住んでたりもする。こっちも見つけりゃ注意はするが、それだけだな。犯罪とか、設備を盗んだり壊したりしない限りは、目を瞑っているんだよ」
軽い相槌を打ち、視界を広げる。暗がりに神経を集中させれば、なるほど、男の言う通り、確かにそこここに人の気配が感じられた。
「……もしかして、まさか、ポンプの奴、ここの連中に捕まって」
一つの予想を小さく口にした。途端、音を拾ったのだろう、目の前を歩いていた職員が笑い声を上げた。
「そりゃあ無理だ。人間に捕まえられたら、アイツはロボットエンザにかかった時、あんな暴れ方はしてないさ」
「……それも……そうですね」
ロボットエンザ感染時のポンプの記録を思い出し、ダイブは彼の言葉に頷く。ロボットですら、押さえつけられず、ウォーターシールドで弾き飛ばされていたのだから。
「それにあいつはここの連中に親切にしていたしな、向こうから仕掛ける、なんざあり得ないさ」
その一言でこの話題は打ち切りとなり、一人と一体は談笑を交えながら、まっすぐに反応のあった場所へと向かった。
狭まったり広がったりを繰り返す、鉄色の通路を、もう大分歩いた頃だろうか。空気の重さにうんざりし、溜め息を吐いたその瞬間、ダイブの耳にか細い歌声が入ってきたのである。
「近いぞ、こっちだ」
男もこの声に気づいたのか、大股に歩き始める。通路の滑りに足を取られつつ、男の後をダイブも早足で追う。目的地に近づいているらしく、歌声は少しずつはっきりと、大きくなってゆく。
角を一つ、二つ曲がり、太いパイプの下を通り過ぎ、ついにダイブ達はポンプを見つけた。ポンプは、彼は、腕にぼろ布を大切そうに抱き、壁に背を預けて座り込んでいた。
「ポンプ!」
喜びのあまり、ダイブは大きな声で彼の名前を呼んだが、相手からの返事はなかった。いや、誰かが来た事にすら、ポンプは気づいていないようで、虚ろな目のまま、ただ歌を、少々高めの声で歌っているのだ。……ぞおっとするほどの異様な光景に、ダイブも職員も、ただそれを見つめるだけだった。
「……ポンプ? ポンプ、おい、しっかりしろ!」
ようやく自分を取り戻したダイブは、ポンプの丸い肩部を掴み少々手荒に体を揺さぶる。途中からは頬を軽く叩き、なんとか彼を正気に戻そうと必死だった。これ以上虚ろな目をされたら、ポンプが二度と戻ってこないような気がしたのだ。
いくつか叩くうち、ポンプの瞳が、濁った色から透き通った緑へと変化していき、歌声は小さくなる。そして。
「……? あれ、ダイブ、さん、どうしてここに?」
一つの沈黙の後、口から出たのはいつものポンプの声だった。全身にそれが染み渡ってから、ダイブは彼の頭を乱暴に撫でさすった。
「……っ、ばか、それはこっちの台詞だ!」
目の奥に痛みが走り、堪えてはみた物の無意識にそれが無理だと悟り、ダイブは少し鼻を啜った。
「僕は、事務所に帰る前に、なんだか声を聴いた気がして……それを追っているうちにここにきて……」
「まあまあ、なんだ」
状況を飲み込めないポンプと、感情に飲まれそうなダイブの間に入り、職員の男は同僚のロボットの肩を叩いた。
「とにかく見つかって良かったよ。こっちは故障したんじゃないかって、心配したもんでさ。まあ、一応メンテナンスはしてもらった方がいいかもしれないな、うん」
「そうだな、うん……ところで、お前、なんでそんな布きれを後生大事に持っているんだ?」
もう一度鼻を啜ったダイブは、ポンプの腕の中の布束を指さした。抱えている布きれは質が悪く、所々奇妙な汚れに染まっており、何か嫌な物を感じさせるのだ。
「……さ、あ。僕にも分らなくって……」
心細そうな声を出し、布をゆっくりと丁寧に広げてゆく。僅かな一瞬の後、現れたのは生まれたばかりと思われる赤ん坊だった。
「ヒィィッッ」
赤い物が目に入った途端、男は悲鳴のような奇妙な声を上げた。まあ、無理もないだろう、へその緒がついたままの、文字通り生まれたままの姿だったのだから。
「赤、ちゃん……?」
「待て、この子生きて……」
不安に駆られつつ、赤ん坊を観察すると、小さな掌はぴくぴくと動いている。顔に指先を近づけると、かすかな空気の流れも感じ取れた。
「良かった、……生きている」
胸を撫で下ろすのにはまだ早いものの、それでも一番の懸念が消えた事に、ダイブはまず喜んだ。赤ん坊は、大きな声に驚いたのだろうか、途端に弱々しい泣き声を上げ始める。
「そうか、そりゃあ助かった……死んでいたらいよいよえらい事だ」
戸惑いながらあやすポンプの脇に立ち、職員はもう一度赤ん坊に視線を落とした。その目からは怯えのようなものはすっかり消えている。
「ここいら辺に住んでいる奴が、生んだはいいものの、困って捨てたんだろうな。たまにあるとはいえ、しかしこの子は幸運だ」
ポンプから渡された赤ん坊を、男は手慣れた様子であやす。その様子に目を細め、ダイブは座り込んでいたポンプを引き上げた。
「じゃあもう母親はここにはいないのかな……?」
汚れを拭う為、後ろを振り向いた瞬間、ピタリとポンプの動きが止まる。やはり不調が、と先ほどの光景を思い出して身構えたダイブは、一度彼の手を握り、正気にさせる為に軽く引っ張った。
「どうしたんだ、ポンプ……」
「ダ、ダイブさん、あれ……」
右腕で下水路の奥を差しポンプの顔は、幾ばくかの恐怖の色が塗られている。訳の分からぬまま、彼の視線の先に目を凝らしてすぐ、ダイブは水路全体に響くような悲鳴を上げた。
こびり付くような空気が漂う、夜よりも暗い闇の中から、女の細い脚が二本、にょきりと生気なく伸びていたのである。
「申し訳ありませんでした。せっかくの休暇を潰してしまって……」
休暇の最終日、旅客用の港に設置されたロビーの片隅にあるソファーに座り、ポンプは深々とダイブに頭を下げる。申し訳なさそうな彼を見つめつつ、ダイブは笑って首を横に振った。
「別に気にする事はないさ。お前がしょっぴかれたりしなかった事、そっちの方がずっと大事だよ」
それでも、と口ごもる彼の背中を、あえて乱暴に叩いた。痛みにポンプは口をへの字に曲げるが、それも少しの事で、すぐに頬がつり上がる。
赤ん坊だけでなく、生みの親と思われる女性の死体も見つかった事で、下水処理場は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。一時はポンプが手をかけたのでは、などと思われたものの、女は彼がそこに辿り着く前日に死亡していた事が判明し、疑いはすぐに晴れたのである。
彼女は子供を産んですぐに、体力の消耗と多量の出血の為に命を落としたのではないか――状況と解剖の結果から、警察はこの事件をこのように片づけたのである。
赤ん坊はと言えば、地上に戻ってすぐに病院へと届けられていた。いくらかの衰弱が見られたものの、幸いにも持ち直し、今ではすっかり元気になっているとの事である。
「……しかしお前もお手柄だな。赤ちゃんの声に気づいて助けに行くなんてさ」
「え」
笑みを浮かべたまま、ダイブは彼の丸い肩を組んだ。興奮していたせいもあるのだろうが、ポンプの返事の違和感に、気づいている様子は全くなかった。
「あの距離から、子供の声に気づけるなんてさ。俺、耳には結構自信があったんだが、全然わからなかったぞ」
「……あの、ダイブさん」
恐る恐る、ポンプはダイブに話しかける。その表情は怯えと不安が綯交ぜになっており、ダイブは緩めていた頬を引き締めて、彼と対峙した。
「僕、僕が聞いたのはその、赤ちゃんの声じゃないんです。女の人の声、だったんです。僕は、その声を辿って行って、それで」
そこで口ごもってしまったポンプを、ダイブは呆然と見つめていた。……思い返してみれば、彼は、ポンプは、確かに声が聞こえた、としか言っていなかった。ああ、そうなのだ、自分達は、勝手に赤ん坊の声、と思っていたのだ。
もちろん、他の地下の住人の声、と言う可能性だってあり得るし、むしろそちらの方の確率が高いだろう。だが、ダイブはそのように思えなかった。あの時の、見つけた時のポンプの様子から……。
自分の想像に、背中に冷たい物を感じる。急に乾いた唇を少し舐めてから、ダイブはそうだったのか、と短く言葉を吐いたのである。
終わり
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