かの男が夜、部屋を訪れると大抵そのような事をしていた記憶しかないのだが、ただ話をするだけで終わる事も実際は多々あったりもする。別に致すのは苦痛ではないのだが、やはりこちらの方は時間がかかるせいもあるのか、どうしてもしていた記憶しかないのである。
今日も今日とて、ネプチューンはウェーブの部屋を訪れていた。またするのかと身構えたものの、する気がないのか、彼はベッドに寝転がり、想い人をひたすらに構うだけであった。抱きしめ、唇を寄せ、甘い物を囁く。体を触る手に怪しさはなく、ただ愛おしさを込めただけの物なので、ウェーブは次第に警戒を解いていったのである。
「……と、こんな調子で話を読み比べていたのですが、体の構造が似ていると、文化も似てくるのかもしれないですね。説話の幾つかが本当、そっくりだったんですよ。……マスターが生きていれば、これにはかなり喰いついたでしょうね。あの方はこのような事に興味がある人でしたから」
偶然読んだと言う、人間の神話について語りながら、ネプチューンはウェーブの頬を撫でる。普段であれば感じられるのは鉄の冷たさだけだが、今の彼はマスクを外し、実験用に付けられたという、人工皮膚の素顔を晒している。その肌の滑らかさに違和感はなく、ただ心地よさを齎すだけのようで、目の前の男は何度も何度も、その頬を愛おしんでいた。
「こちらのキリスト教のアダムとイヴ、日本神話のイザナギとイザナミ、中国の古代神話のジョカとフッキのような一組の男女が始まりを担った、と言う話がワタシの所にもありましたし、偉大なる者の死体が天地の元となった、と言う物語もあって、……」
故郷を離れる際に、彼の作り手から賜ったデータに関連する大発見に、興奮でもしているのだろう、放たれる声にいつもの海底の漣のような静けさはほとんどない。それでもまだ、落ち着いて聞いていられるのは、慣れによる物か、ネプチューンの気質によるものか、ウェーブには分からなかった。
「……細かい所では、童話のがちょう番の娘のような物もあります。まあ、ただ、この話は地球での主役はお姫様の方ですけれど、ワタシの所では侍女、つまり姫に化ける方ですね、そっちが主人公なんですよ」
「がちょう番……」
そのように話を誘われても、ウェーブにはそんな童話を聞いた事がなかった。その態度から察したのだろう、ネプチューンは静かに笑って話を続けた。
「あるお姫様がですね、王子様の所に嫁ぐ事になったのですが、そこで事故があって御付をしていた侍女が、これが悪い娘で、姫と入れ替わったんです。侍女にされてしまったお姫様は、がちょう番をさせられる事になったんですが、そこで色々とありまして、なんとか王子様に自分が本物のお姫様である事を知らせるんです。王子様は偽者の姫を処罰して、本物のお姫様をお嫁さんにした、と言う話です」
「それがここでの話……なら、そっちの話はどんな感じなんだ?」
ウェーブがこういった類の物に関心を払う事はないのだが、この時、彼は珍しく興味を示した。それが嬉しかったのか、半漁人は頬を撫ぜる手を止め、ますます顔を綻ばせたのである。
「ええ、お姫様が王子様の所に嫁ぐ事になり、侍女がそれについて行った、そして入れ替わる事になったんですが、そこでの事情が違います。まずお姫様が、侍女に入れ替わるように言うんですが……」
「あ、待った」
饒舌になりかかった所で水を差され、さすがのネプチューンも少し顔を顰める。が。
「……その話、最後は、その、悪い感じで終わるんじゃないよな? 例えば、主役の侍女が処罰される、みたいな……」
取り繕っているが、その奥に潜む不安を隠しきれていないウェーブの表情を見て、彼はすぐに眉根に刻んだ皺を取り去った。……ウェーブはあまり後味の悪い話を聞くのを好まない。寝る前に聞くと気分が悪いから、と当人は答えていたが、それだけではないと言う事を、ネプチューンは知っていた。
頬で遊んでいた指を唇へと走らせ、それから右腕へと移動する。無骨なその形を撫で、安心させる為に、ネプチューンはウェーブを腕の中に閉じ込めた。
「大丈夫ですよ、安心して下さい。終わりは優しい物ですので」
それを聞き、少しは心地がついたか、彼の腕から力が抜け、表情が和らいでゆく。強張りが消えたのを見計らい、ネプチューンは更に続きを語り始めた。
「ええと、お姫様が侍女に入れ替わりを提案する、まで言いましたね。ここでの理由は千差万別ありますが、まあ今は、お姫様には恋人がいた、と言う物を出しておきましょう。……」
部屋の中に音を出す物はなく、故にネプチューンの声は一等良く聞こえる。彼の出す音は、戦闘用として考えるとひどく温和で静かであり、血なまぐさい命令よりも、童話や神話を諳んじるのにずっと向いていた。
だから、ウェーブは彼の口からこのような柔らかい話を聞くのが好きだった。特に、何もしない夜の寝しなに彼に抱かれて聞く物が。……もちろん、当人には決して伝えたりしないつもりだが。
抑揚を抑えて綴られる物語は、僅かな破滅をちらつかせながらも、墜落することはなく、ゆっくりと軟着陸する。ネプチューンが終わりを告げると、ウェーブは長い息を吐いて体から力を抜いた。
「……いかがでした? 地球の話と、結構似ていたでしょう?」
「……」
だらりとしていた腕を伸ばし、彼の掌に触れて面を眺める。いつもどおりの、ニヤニヤと言うかニコニコと言うか、とかく笑みを浮かべてネプチューンは答えを待っていた。
「……入れ替わりの件は似ているけれど、でも、なんか違う気がして、他にももっと、相応しい話があるような気がするんだよな……」
「あら、そうですか?」
「オレは、童話とかは良く知らないけれど、でも、オマエが似ている、と言った話とはなんだろうな、なんて言ったらいいかわからないけれど……」
無理に捻り出そうとしても、元々ない物をどう引っ張り出せるだろうか。そのまま言葉に詰まったウェーブの頬を、ネプチューンは優しく撫で擦った。
「じゃあ今度、探してみますね、違和感がない、似ている話を」
ぐるりと、無防備な腰に腕を回す。今日はここに居座るつもりらしく、ネプチューンはベッドに体を預け始めた。このような場合、ウェーブはする時とは違い、彼を追い出そうとしたりはしない。想い人と共にいる心地よさを、いかなウェーブであろうとも認めているのだ。
柔らかく暖かい世界に身を横たえるうち、頭が自然にスリープモードへと移行する。特に抵抗するつもりもなく、ウェーブは流れに身を任せ、ネプチューンの腕の中でまどろみに落ちて行った。
「…………」
腕の中がずっしりと重くなったのを確認し、ネプチューンは彼の頭をやわやわと撫でる。表情に誘われたのだろうか、こちらの眠気も大分増してきたらしく、視界が次第に狭まっていった。
「……ねえ、ウェーブ」
眠りで蕩け始めた声で話しかけても、目の前の人は反応しない。それは、これまでを考えれば喜ばしい事ではあるが、僅かながら寂しさも覚え、ネプチューンは贅沢になったものだ、と心の中で笑った。
「アナタが、ね、もし、ワタシの、……バカな話ですけど、お嫁さんになってくれたら、ですよ」
素面であれば、きっと彼は怒り出すだろうが、今なら好き放題告白できる。全てを眠気のせいにして、とろとろとネプチューンは言葉を続けた。
「そうなったら、異類婚みたいなのに、なるんでしょうかね? ある見方をすれば、ワタシとアナタは、異なるものになるのですから……でも、それだとちょっと困りますよね、だって」
―― 異類婚って、いつも悲しい話で終わりますから。
それを口にし、ネプチューンは、心細くなったのか、回していた腕に力を込めた。かすかに強まった締め付けに、ウェーブは少しだけ呻いたが、しかし穏やかな表情が変わる事はない。
「こっちの方でも幸いで終わるのは少なかったですし、地球でなんて、ほとんどと言っていいほどで……」
異なる者は歓迎と同時に忌避もされると言う。離れた場所で生まれた種族でありながら、二つともが、訪れる者が齎す恩恵よりも、それにより降り来る災いの方をどうも恐れたようである。
「ワタシの馬鹿げた妄想だと、思いますけど。……アナタを、悲しませたくはない」
自分が死んだと、泣き暮らした果てのウェーブの姿を思い出し、ネプチューンはいよいよ腕に力を込める。あのような悲しい顔を、もう見たくないのだ。
スリープモードへの移行を早めながら、ネプチューンは目覚めた時に、今の杞憂が霧散している事を祈った。
(……それから)
意識が途絶える、最後の一瞬に彼は願いを、もう一つ付け加えた。
(何事も、全てが幸福で終わるように)
と。言葉を唱え終わると同時に、彼は目を完全に伏せ、眠りの淵へと落ちてゆく。
明かりのない部屋の中、聞こえるのは、二人分の安らかな寝息だけだった。
終わり
ロボット同士、を考慮するといささか考えすぎな気もする話。……なんか前にも似たような物を書いた気がする。
私は結構、海王星さんは普段の会話やこういった朗読的なのをするのに良い声だと思っております。ちなみに歌声は海賊さんで、威勢が良いのが潜水さん。海賊さんは、普段の声はガラガラでおっかなげだけど、歌を歌う時はオペラ歌手のように朗々とした声を披露してくれる、と言う感じで。
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