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【2024/04/25 20:26 】 |
籠の外と中の鳥(バブルとスプラッシュ+α)

 2周年記念リクエスト企画
 小説のリクエスト様より
「スプラッシュをスクラップ場で見つけて救うというバブルの話」

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 大盤の月明かりが消され、頼りない細かな星明りだけが散らばり、人の手足を鉄鋼で模した物達で出来上がった荒野を照らす。オイルと鉄錆の臭いが混ざった風は、散らばり、山と化した物達の隙間を通り抜ける際に、彼らの心も拾うのか、どこか啜り泣きのようにも感じられた。
 ロボット最終処理場、と言うにはあまりにも悲しいこの世界を、一つ動く影がある。死の臭いが充満する中で、この影――ロボットはただ一体だけ、生きていた。緑色の装甲で、水中ゴーグルをつけた、DWN.011、バブルマンである。

 他の場所の事情をバブルは知らないが、海洋で働くロボットの関係は、はっきりと把握していた。結論を言ってしまえば、DWN、DRN、その他製作者の違いによる垣根がないのである。
 海という場所は広く深く、その環境ゆえに探査が陸地に比べて進んでおらず、更に海中は止まることのない潮の流れの為に絶えずその様相が変化している。昨日は平だった場所が、今日はすっかり岩山に、とまでは言わぬが、それに近い事が、陸に比べて起きたりするのである。
 そのような状況に出くわし、かつそこで負傷なんぞを負ったりすると大変どころでは済まなくなる。運が悪ければ機能停止、場合によっては機体の回収すら不可能になってしまうのだ。
 故に海洋で活動する彼らは、こまめに情報を交換していた。ただデータを交し合うだけでなく、時には世間話なぞを一言二言口にし――そんな事を繰り返すうちに、最初にあった垣根は次第に低くなっていったのである。もちろん、パイレーツやダイブのような確執はあったりもするが、バブルが知る限り、海洋で動くロボットには、製作者の違いによる致命的な仲違い、と言う物は存在しなかった。それは彼自身と、DRNの一体、スプラッシュウーマンにも当てはまっていた。
 二人の仲は、その生まれや活動の経緯からは考えられないほど良好であった。普通であれば情報の交換どころか、顔を合わせる事すら嫌がり、ともすれば戦闘状態まで発展してしまいそうであるが、彼らはそのようにはならなかった。
 バブルの性格が、戦闘用に作られたにしては温和な傾向にあったからか、スプラッシュが、先入観で行動せず、まず言葉を交わそうとする積極性を持っていたからか……どのようなものが原因かは定かではないが、とかく二人は会えば行動を共にする事が多かった。データ交換だけではなく、暇があれば海底を共に泳いだり、或いは歌が得意であるスプラッシュが、魚を相手に開く小さなコンサートにバブルが混じっていたりと、仲睦まじい姿をたびたび見せていたのだ。
 この日も、バブルは岩場に腰をかけ、スプラッシュの歌に耳を傾けていた。海中では、彼女の歌声だけが聞こえるが、海上では潮騒が程よく混じり、いつもとは異なる響きが美しい。
 普段であれば彼はただ、黙ってそれを傾聴しているのだが、今日は何度も首を捻っていた。常であれば、スプラッシュは多種多様、古今東西あらゆる歌を口にしている。だのに今日は、唯一つの歌をずっと口ずさんでいるのだ。新しく覚えた歌だから、気に入りの歌だから、と理由は簡単に思いつくが、しかし気になるのは、これがどうも別れを歌った物らしいと言う事だ。
 瑣末と言えば瑣末である。理由を尋ねてしまえば良い事なのに、頭へと流れる輸液の圧力が気になって、聞く事ができないのだ。……大分前にも、こういった症状が出た事があった。確かあれは……。
「……バブル、どうしたの?」
 くらくらとする頭に、優しい声が降りてくる。意識を取り戻したバブルは少し呼吸をしてから、大丈夫だと手を振った。
「そう? ……あんまりムチャしないでね、貴方には元気でいてほしいから」
 やはり、おかしい。スプラッシュの顔を覗き込みながら、バブルはいよいよ疑惑を募らせる。視線に気づいて微笑む彼女の表情には、ほんのりと暗さが漂っているのだ。
「私、そろそろ行くわ。……それじゃあ、ね、バブル」
 顔を上げたスプラッシュは、するりと水の中へと飛び込む。見送ろうとバブルも海中に潜るが、いつもと違い、彼女はすっかり大分向こうに行っていた。
「スプラッシュ、それじゃあまた今度……」
「……ええ、また、今度、ね……」
 青い尾を燻らせ、こちらを振り向かずに泳いでゆく彼女を見送るバブルの頭に、警告の早鐘が遠くで鳴り響く。今すぐ彼女を追いかけていくべきだと、体を前に傾けた瞬間、通信が入った。
「バブル、今どこにいる?」
 響いてくるのは、聞きなれた、青年としては少し高めの、クイックの声だ。イヤーレシーバーに手を当て、周波数を調整する。いかなワイリー博士が作った物とはいえ、海の中ではどうしても陸上より調子が悪くなるのだ。
「……どうしたの?」
「博士が次の作戦の打ち合わせをしたいってさ。十四時に会議室に集合だから、遠くにいるならさっさと戻って来た方がいいぞ」
 時間部分のみを復唱して確認すると、すぐ動かなければ間に合いそうもない。わかった、と返事をして通信を切り、踵を返した、が。
「……」
 それでもやはりスプラッシュの事が気がかりになり、彼女が泳いでいった方向を見た。……瑠璃色の世界の中に、濃い青色は、もうどこにもない。追いかけたくてもこうなってしまっては、バブルにはどうしようもなかった。
 ぽこり、と泡が生まれて海面へと浮上してゆく。前を向いたバブルは、無言のまま研究所へと泳ぎだす。幾分かの、心残りを抱えたままで。

 
 暗澹とした蒼の世界に、一瞬光が走った。音は届かないが、どうやら雷がなっているらしい。海天井を見上げれば、雨に叩かれているせいか、心地の悪い斑模様を描いていた。
 視覚の世界が悪いと、五感を刺激する全てが不快感を覚えるらしく、海水はぬるぬると生ぬるく纏わりついてきているような気さえする。
 こんな時は、大抵嫌な事が起きるものだ、とバブルは考えている。ロックマンに敗れた時も、このような海だったと回想していると、海水が妙に動いている事に気づいた。体を圧し飛ばすような感覚は自然によるものではない。明らかに人工的なものである。
 流れに逆らい源流を探っていると、覚えのある岩陰に辿り着いた。ここは海草の生え方が特徴的で、一種の森のようなので、良く水中用のロボットが集まる、いわば集会場のような所である。
 そんな場所の真ん中で、見知った紫……パイレーツマンがこれまた知っている青……ダイブマンの首をおっかない剣幕で掴んでいた。ギャラリーを見れば、ネプチューンとウェーブもいる。ウェーブはパイレーツの声が怖いのか、半漁人の陰に隠れてカタカタと震えていた。
「……てめえと言う男は……!! 見損なったぞ、潜水艦!!」
 怒声と共に、パイレーツはダイブの白い腹を蹴り上げる。……人間ほどでないにしろ、ロボットにとっても腹部は大事な部分である。普通ならば庇うか、攻撃を受けながらも反撃するのだが、ダイブは一切の抵抗をせず、その蹴りを受けたのである。
 呻く事もせず、ごぼりと口から気泡だけを出したダイブを捕まえ、パイレーツはひたすらに殴る蹴るを繰り返す。水に纏わりつかれ、威力が鈍っているとはいえ、相当な痛みであるはずだ。しかしダイブは、何もしなかった。
「……、とストップ、ストップ! パイレーツさん、さすがにやりすぎですよ、アンタ」
 いつもの喧嘩だろうと、気楽に構えていたネプチューンも流石に異常に気がついたようで、パイレーツを羽交い絞めにして慌ててダイブから引き剥がした。呆気に取られていたバブルも、彼に倣い、気力なく後方に倒れこんだダイブの体を支えに向かう。
 強い力で締め付けられても、海賊の怒りは収まらないのか、首を振り、腕を回し、拘束から逃れようと必死である。次第に抑えているネプチューンの方の旗色が悪くなっている事に気づき、ダイブをまだガタガタしているウェーブに任せ、自分も加勢しようと、パイレーツに近づいた。
(こんな時、スプラッシュがいたら)
 パイレーツの腕を押さえつけ、言葉で優しく宥めている最中に、ふとそんな思いが頭を過ぎった。彼女がいれば、少なくともここまでひどい事態にはならないだろう。なんだかんだと言いながら、この男も、彼女には甘いのであるから……。
 そこまで考え、バブルはそう言えば、と気づく。ここの所ずっと、彼女を見かけていないと。これまでであれば、遠くから姿を見かける位はあったのに、ここ最近は全く、影すら拝んでいないのだ。
 そのような事は今までなく、もしかしたら長期メンテナンスかしらん、とぼんやり考えているバブルに答えを齎したのは、パイレーツの叫びだった。
「馬鹿共が! この腑抜けは、あの人魚ちゃんを見捨てたんだぞ!」
 彼の声の後、海の中の音は完全に消え去ってしまった。パイレーツの言葉が、頭を圧迫し、処理が追いつかなかったからだ。
「人魚、ってのは、スプラッシュウーマンの事、か?」
 最初に我に返ったのは、ウェーブだった。ダイブの後ろから恐る恐る、と言う言葉がぴったりな調子で尋ねてくた。
「人魚っつったらあいつしかいねえだろうが」
 ようやく落ち着いたのだろうか、腕を下ろしたパイレーツは舌打ちをしてそう答えたのだ。
「しかし、見捨てたって、ダイブマンは……」
 束縛を緩めつつ、ネプチューンはパイレーツに尋ねる。声色はいつもの穏やかさを取り戻しているが、その赤い目はしかし、まだ動揺で揺れていた。
「……お前らも知ってるだろ、ロボット新法」
 彼の放った単語に、ダイブ以外の三人の周りの海水が凍る。自分達に関わりがない物ではあるが、法律とその内容については知っていた。
「……引っかかっていたんですか、彼女」
 呆然としながら呟くネプチューンの言葉が、水中に沈んでゆく。……確かに、スプラッシュはさほど新しい機体ではなかった。ダイブと同じ位か、それより少し後に作られたそうであるが……。
「……アイツは、大丈夫だって言っていたんだよ」
 今まで無言を貫いてきたダイブが、ようやっと口を開いた。いつもであれば威勢と気風の良い声は、すっかり萎れて死んでしまいそうなほど、やせ細っている。
「確かに、アイツは俺と同じか、ちょっと下くらいだ。年だけで言えば、規定の範囲内だ。……でも、スプラッシュは大丈夫だって、言ったんだ。ライト博士に作られているから、免除規定の中に入っているって」
「……一部科学者や研究所などが作ったロボットは免除されるんだっけ」
 尋ねるような口ぶりでバブルが呟くと、ダイブはそれに頷くが、すぐに首を振った。
「……でも、細かい部分で、どうも、アイツ、引っかかっていたみたいなんだ。すごく瑣末な所で、悪い事だけど誤魔化せそうな部分だった。けど、でも、細かい所であったとしても、法律に引っかかっている事には間違いがないって、アイツは、アイツらは言っていたんだって。……もしこれを誤魔化して生き延びても、いずれはバレてしまう。そうなったら、ライト博士や、免除規定のおかげで生き延びているロボットに迷惑がかかるし、なにより他の、新法に従ったロボットに申し訳が立たないって」
 ダイブの声は、いよいよ涙が混じり、不明瞭な音となって溶けてゆく。
「俺は、何も出来なかった……。スプラッシュは、俺にも、最後まで言わなかったんだ。言ってくれたら俺は……」
堪えきれなくなったのだろう、彼はついに、項垂れたまま、顔を両手で覆ったのだ。パイレーツはそれを歯噛みしながら見ていたが、しかし詰る事はしなかった。
 頭ではわかっているのだ。スプラッシュがどうしてダイブにすら伝えず、この世から身を引いていったかなぞ。直情である彼にこれを伝えれば、きっとダイブは無茶を働いてでも、スプラッシュを生かそうとしただろう。そんな事をすれば、彼や彼の兄弟、更には生み親のコサック博士にまで類が及んでしまう。そして彼らに科せられるペナルティは、相当に重くなるであろう。何しろ、彼はその原因がワイリーのせいだったとは言え、かつて人に牙を剥いているのだから。
 ……高潔で優しいスプラッシュはきっと考えただろう。他人を巻き込んでまで、生きていたくはないと。……だから、誰にも吐き出さずに、その時まで自分の中に溜めていたのだ。
 天井の雲が厚くなっているのか、海の中は暗黒色に染まっている。海水は重く、どろりどろりと手や足に絡みつき、心まで重くするのだ。聞こえるのは、ダイブの啜り泣きくらいである。
「ねえ、ダイブ」
 そんな重い世界を、バブルは一人、静かに切り裂いた。目の付近を強く拭き、ダイブはのろのろと顔を上げる。
「いつ、どこの処理場に、スプラッシュが連れて行かれたか、知っているかい?」
 え、と目を見開いて、ダイブは目の前に立つ緑のロボットを見つめる。グラスの奥の瞳は、周囲の暗さも手伝っているのか、その表情を伺う事は出来なかった。
「バブルさん、アナタ……」
 ダイブの代わりに動いたネプチューンは、呼びかけた者の方へと手を伸ばす。……何を思ってバブルがそんな事を尋ねたのかは察しがついたが、しかし確信はないようで、差し出した腕に力はなかった。
「彼女はもう、法の上では抹消された存在だ。それを籠の外の僕がどうこうしたって、いいだろう?」
 彼の考えを肯定するような事を呟くと、バブルは穏やかに笑って見せたのである。


 かくて、ダイブから日時と場所を聞き出したバブルは、スプラッシュを探す為にこの場所……ロボット最終処理場にいるのである。同じロボットの残骸を踏みつけ、掻き分け、落胆し、もう大分長い時間を、彼は彷徨っていた。
 日付から考えてまだ解体処分はされていないと踏んだはいいが、しかし彼女を探すにここは広大過ぎていた。歩けど歩けど、スプラッシュの体があるはずの場所に辿り着けないのだ。
 時間は刻一刻と、深刻に過ぎてゆく。明日や、それ以降に持ち込む事など出来ない。そんな事をしたら、彼女を探す事が更に困難になるはずだからだ。運ばれるロボットの量と作業速度が噛みあっていないからだろう、ここは面積を広げるだけではなく、高さまで増えつつあるのだ。
「……カ、してイる、か?」
 ふいに声をかけられ、身を竦ませる。恐る恐る音のした方を振り返るが、声を出しそうな物は見受けられない。
 後々を考え、星明りを頼りに探してみると、埋もれた一体の瞳が淡く光っている。大半の部分が手足の欠片に埋もれて上半身だけしか拝めないが、どうやら肩の辺りは蜂の巣を模しているようだ。
「生きテいる、のか? 君ハ」
 掠れておかしくなった声に頷くと、彼は奇妙に目を瞬かせた。
「羨まシい……必要なコとだト、覚悟はシていたけど、そレでも、やっぱり死ヌのは、死ヲ待つのは辛い……」
 夜露に濡れた頬が光り、泣いている、ようにも見える。それを拭ってやると、ありがとう、とかすかな声が聞こえた。
「優しイ人だ、ワタしの友達ミたいだ」
「友達がいたのかい?」
「あア、ウッドまんとぷらンとマン……前日に会いニキてくれタんだ。ヤさしい、良い子達ダった……もウ、わタしの事ハ忘レてしまっていルかモしれない。二人トも、ひどく泣いてイタカラ、きっと、記憶ヲ消去サれているダロウ。……ロボっとは忘れラレないから、その方ガ、きっと、良イのダろうけど……」
 意外な名前が飛び出し、バブルは少し驚いた。……しかしこれで、弟機がここ数日、沈んでいたかが理解できたのだ。
「……思い出を消す権利なんて、人間は持っていないよ。それに、人工的に消そうとしたって、忘れるはずがないよ。友達、の事を、忘れたりなんて……」
 低く、搾り出すような声でバブルは壊れかけた彼に答える。それはまるで、自分の心に問いかけ、刻み付けるような音であった。
 見つからぬよう気をつけて、なおも気遣ってくれる彼に、後ろ髪を引かれながらも、バブルは別れを告げて先を目指した。
 ようやっと、目当ての日付分が放置されていると目される場所に辿り着き、バブルは疲労の長い息を吐いた。見上げれば、そこには背よりも高い山が、幾つも出来上がっている。今度はここから、スプラッシュを探さねばならんのだ。
 人型、非人型の区別をされないで作られた山を、バブルは掘り始める。人間と言う物はこういう時は平等であるらしく、何もかもが一緒くたになって打ち捨てられていた。
 彼女の色と同じ物を見つけるたびに、緊張と歓喜と不安の三つが混ざり合った奇妙な感覚に襲われる。そして違うと分かると落胆に肩を落とすが、一緒に安堵の溜息も漏らしていた。ロボットの死体は乱暴に扱われているらしく、そのどれもが傷つき壊れ、五体が満足である者は非常に少ないのだ。
 焦燥に駆られ、探る手つきも荒くなりつつ中、ついにバブルは見覚えのある、細い腕を見つけた。力なく手先を垂れたその指先は、汚れがあるがまちがいなく彼女のものである。そこから先は埋もれていてよく見えないが、しかし重要な手がかりである事は確かであり、バブルはとにもかくにも、その腕から先を必死になって掘り進んだ。
 ネジに塗れ、油を被り、塗装に傷つき……腕から後はないかもしれないと、時々掠める空想を振り払い、慎重に、さながら化石を発掘する考古学者のように彼女の姿を探る。
 その作業に運は、応えてくれたのだろうか、肩が見え、胴が現れ、……ついに顔が露となったのだ。
「スプラッシュ!!」
 感情に堪えきれなくなり、バブルはついに声を上げた。動力炉が熱い物を体中に送り、冷え込んでいた指が一気に温まってゆく。その感覚に、奇妙な事だが震えが起こっていた。
 歓喜にどうにかなりそうだったが、しかしこうしてばかりもいられない。溜息を吐いて体温を下げると、すぐさま囲んでいた者達を掻き分けにかかった。細かい部品を隙間に押し込め、動かせるほどの空間を作り上げると、彼女のか細い胴体に腕を回し、静かにその山の中から引き抜いてゆく。
 震えるほどの静けさの中、CPUの音すら破壊のきっかけになりそうで恐怖したが、作業はあっけないほど簡単に終わってしまった。
「スプラッシュ……」
 呼びかけには応えないとわかりつつも、バブルは名前を呟き、傷だらけの指の腹で彼女の丸みがかった頬を撫でた。きめ細かい肌は冷たく、機能が停止して大分経っている事を冷酷に告げているが、今のバブルの耳には聞こえなかった。
 物言わぬ彼女の体を掻き抱き、喉の奥から湧き出る痛みに浸りそうになるが、後ろからの物音を聞き、すぐに顔を上げてそちらを振り向いた。
 絶妙なバランスの元で築かれていた山から、ポロポロと、涙のように細かいゴミが転げてくる。予兆を悟り、バブルはスプラッシュを抱え、ひとまず別の山の陰へと逃げ込んだ。自分まであの海に沈んでしまっては、どうしようもないのだから。
 安全な場所に辿り着き、ひとまずの冷静さを取り戻した彼は、改めて彼女の体を点検する。様々な偶然によるものだろうか、その五体は細かなかすり傷や塗装の剥落は認められたが、大きな損傷は一つとしてなかったのだ。
「良かった……」
 大いなる奇跡に感嘆しながらも、しかしまた別の不安に襲われる。……確かに、体は無事であった。だが、内部は、動力炉やCPU、更にはコアが備わっているかどうかは、確証がないのだ。
(確かに、さっきの蜂くんみたいに、残してあるかもしれないけれどさ……)
 先ほど出会ったロボットを思い出し、安堵に身を預けそうになったが、すぐさま首を横に振った。最近来たらしい彼はともかく、それ以前にここに堕とされたスプラッシュは、まだ丁寧な扱いを受けていたかもしれないのだ。
 解析プログラムを接触型に切り替え、内部を確かめる。人工網膜にデータが送られる、ほんの一瞬の暗闇が息苦しいほど怖かった。目を閉じたい衝動に駆られつつ、ようやっと回答を得た時、バブルは、この時初めて体中の力が抜けていくのを感じたのだ。
 すぐさまコードを引っ張り出し、スプラッシュの後頭部に繋ぐ。起動プログラムを操作しながら、携えてきたE缶を開け、彼女の暗い色に染まった唇に押し当てた。が、傾けてすぐにそれらは口の端から流れてしまう。
 零れた液を拭い、今度は自分の口に缶の中の物を含んだ。いくらかを蓄えると、彼女の唇に自身の物を押し当て、エネルギーを分け与えてゆく。本来なら、別にある補給口に入れるのが効率的なのだろうが、彼女を起動できると言う期待のせいで、バブルは手間を惜しんだのである。
 微かな振動と音が、篭って耳に届く。一旦唇を離し、恐々と彼女の顔を覗き込むと、閉じられていた目蓋がピクピクと、僅かに動いたのだ。緩やかな動きの後、何かを確かめるように一度強く瞑り、そして、海の青を宿した瞳が、ああ、ようやっと現れたのだ。
「バ、ブ、ル……?」
「スプラッシュ!!」
 零れた声は弱々しく、風に乗って消えてしまいそうだったが、バブルはその全てをすぐに拾い上げて飲み込む。久しぶりに届いた音は、痺れそうなほど甘かった。
「バブ、ル、な、の? 本当に、バブル、なの……?」
 数珠つながりの言葉に必死になって頷き、力一杯その体を抱きしめる。スプラッシュもそれに応えようとするのだが、長い間硬直していたせいでキシキシと音がし、しっかりと曲がっていなかった。
「幻じゃ、なくて? 夢でも、なくて?」
「うん、本当の僕だよ、本当の……」
 肩に顔を埋め、バブルは何度も何度も、現実であるとくどい程に告げる。あまりに大きい感情にCPUが圧迫され、どう言葉をつなげればいいか、わからなかった。
 これまでにない喉の奥にある塊の圧迫と、動力炉の熱さに悶えながら、バブルはどれほどの思いを抱えていたのか、今ようやく気づいたのだ。
 冷え込んだ細い体を温める為に、自身の心を探る為に、抱き合ったままどれほど経っただろうか? 風の啜り泣きの中、二人の間に少し隙間を作ると、バブルはスプラッシュの青い瞳を覗き込んだ。
「……スプラッシュ、帰ろうよ。皆、ダイブも、ウェーブも、パイレーツも、ネプチューンも、皆、君がいなくて寂しがっていたよ。特にダイブは、アイツは一番責任を感じていた」
「バブル……」
 青白い頬に一瞬、赤い色が灯る。が、それは瞬時に立ち消えてしまった。彼女は長い睫で縁取られた目を伏せ、ゆっくりと首を振ったのである。頷いてくれると、そう信じていたバブルは、天国から刹那に落下してしまったのだ。
「どうして……君はもう自由なんだ。人間の手から離れたんだ。だから、だから、もう……」
 太い、緑の指が折れそうなほど細く白い手に絡みつく。それへの返事のように巻き付ける五指は、寂しいほど冷たかった。……まるで、この場所の冷気と涙を吸い尽くしたかのように。
「ありがとう、バブル、……貴方はそう思ってくれる。でも、私はね、最後の……解体されるその時まで、自由ではないと思うの」
 辺りを見渡せば、積み重なった死体の荒野が広がる。吹き抜ける風が拾う音はどれも悲しく、背筋をゾロゾロと這い上がり、動力炉を凍らせた。
「貴方と一緒にここを離れて……もう一度海に戻れたら、きっと私は幸せだと思う。でも、私が生きている事を人に知られたら、連れ出した貴方に迷惑がかかる。次に博士にも、ロック兄さんにも、ロール姉さんにも、他のロボット……ダイブにも、私の好きな、大事な人達皆が、不幸になる。……私一人のせいで、皆が……」
 強い調子で言葉を綴るも、その体は震え、バブルを求めて縋る。バブルはただ、冷えつつあるスプラッシュを抱きしめ、暖めるしか出来なかった。
「だから、だから私……私……」
 不明瞭な言葉の果てに、ああ、と悲壮な声と共に涙が零れ落ちた。スプラッシュはバブルの胸に顔を埋め、彼の腕にただひたすら縋りついてただ嗚咽を漏らすだけなのだ。
「ああ、バカ、バカ! 我慢していたのに! ずっとずっと……ああっ」
「スプ……ッ」
「もうやだ! 私は生きたい! もっと生きていたの! 仕事もしたいし、皆にも会いたい! でも、でも……!!」
 理性と願いとの合間で揺れる彼女の声は、確かに血の臭いがした。スプラッシュは、最後に海で別れた時から……いいや、期限を知らされた時からずっと理性の中で生きていたのだろう。それも彼女の一部ではあるが、しかし本心は奥底に隠していたのだ。
 涙で揺れる言葉を聴きながら、バブルは彼女を助けに来た事が、本当はいけない事だったのではないかと、ほんの少しだけ後悔していた。こんなに悲痛な悲鳴を、スプラッシュに出させなくなかったのだ。
「……いいんだよ、いいんだよ、スプラッシュ」
 一際細い体を抱きしめてから、バブルは白い頬に流れる雫を親指で拭い、瞳を覗く。
「願っても、言っても、叶えても、いいんだよ。生きたいって、そう言ってもいいんだよ」
 ……その時の彼の顔を、憤怒に染まりながらも瞳に仁慈を宿す、天使と悪魔が内在したバブルの表情を、スプラッシュはその生の終わりの時まで忘れる事はないだろう。目の前に現れた面は、あまりにも力を持ったものだったのだ。
「人間だって……長い歴史の中、生きたいとそう叫んで今日まで来たんだ。……そうやって、生きたい、と叫ぶのは人だけの権利じゃない。ロボットにだって、……そうさ、心のある者には誰にでもある権利なんだ」
「貴方……」
「本当の寿命を定められるのは人間じゃない……スプ、生きようよ。生きたいって、願ってよ。それは罪じゃない、悪い事じゃない……」
 次第に、バブルの顔から何かが抜け、元に戻ってゆく。その変化を見守るスプラッシュの目は、何かの決意を静かに燃やしているのだ。
「……そうじゃのう、バブル。お前さんも、なかなか言うようになったのう」
 不意に、バブルの後ろからしわがれた老人の声が響いた。身を竦めたスプラッシュを庇いながら、彼は後ろを向いた瞬間、大きい目を更に見開いたのだ。
「……人は、生きたいと願い、それを阻むものに抗いながら今日まで歩んできた。もし、それがなかったら、わしら人間はとうの昔に全滅していたかもしれんな」
 荒野に、いくつも、バブルには見慣れた影が並んでいる。その真ん中に、特徴的な髪の男が一人、立っていた。
「生きたいと思い、その結果にある抗いは悪ではない。或いは、その思い次第で、多くが生存でいるやもしれんぞ……お嬢さん?」
 寒々しい闇の中、老人……Dr.ワイリーはにやりと、笑ったのである。


 海天井の色は鮮やかで、降りて来る光の幕は、白く透き通っている。七色の照り返しを受けながら、バブルはワカメの林の片隅にある岩に腰掛けていた。その隣には青い人魚――スプラッシュが、微かな声で柔らかな歌を口ずさんでいた。
「……また、こうする事が出来るなんて、思わなかった……」
 一つを歌い終え、休みのような沈黙の後、彼女は感慨深げに呟く。その独り言に、バブルは静かに頷いていた。
 ――あの荒野での一幕の後、スプラッシュと彼女の兄弟達はワイリー及びDWNに回収され、修復を受けてすぐにロボット新法反対を訴え、反乱を起こしたのだ。それらは彼女の兄であるロックマンに鎮圧されたが、それをきっかけにロボット新法の見直しの訴えが各地で次々に起こったのだ。その結果、と言えるかは定かではないが、ロボット新法は処理場の過剰運転や、施設の増設等の問題を理由に、無期限の停止……事実上の廃案となったのである。
「覚悟していたのよ、私達は廃棄処分されるんじゃないかって……今でも、夢を見ている気がするの」
 訴える為の最後の手段だったとは言え、人に牙を剥いた身である。非難されるだろうと、それなりに覚悟はしていたが、しかし蓋を開けてみるとそれらの数は少なかった。代わりに同情や味方する声が多く、更にDr.ワイリーが自身の企みの為に彼らを利用したと声明を出したおかげで、彼女達はしばらく監視に置かれると言う処分だけで済んだのである。
「人間ってえのは、大体そういうもんさ」
 ――もっとも、もし君達に死が下ったとしても、僕は何度だって助けに行くけどね。
 そうマスクの下で呟いていると、ふっと海水が揺らぎ、海草がざわざわとざわめく。コロリと転がってきた小石は、誰かの到着を知らせてくれたおかげで、二人は訪問者に見られる前に手を離す事が出来たのである。
 一、二瞬の沈黙の後、のっそりと、深海の青を纏った巨体のロボットが現れた。
「ダイブ……」
 名を呼びながら駆け寄ったスプラッシュを、ダイブは硬い表情で迎える。その顔にいささかの不安を覚えたが、しかし緑の瞳を覗きこんでそれらが杞憂であると、はっきり分かったのである。
「……すまなかった、スプラッシュ……」
 添えられた細い腕を申し訳なさそうに外し、重々しく言葉を吐き出しながら、ダイブは深く頭を垂れる。
 全てが幸運に終わった今も、彼はまだ、あの時のまま、海に沈んだままなのだ。すぐさま態度の意味を理解したスプラッシュは、握り締めたままの大きな拳に触れながら、彼の名前を呼んだ。
「バブルから聞いたわ、貴方が情報をくれたって。それがなかったら……きっと私はここにいない」
 硬く、日に焼けた色をした頬に手を添え、スプラッシュはダイブに笑いかけた。
「ありがとうダイブ、私を助けてくれて」
 感謝を伝えてしばらく、目の前の男は動かなかった。……いいや、言葉が冷え切った体に染み渡るのに時間が掛かりすぎたせいで動けなかったのだ。
「あ……ああ……あああ……!!」
 コアにそれが染み渡り、意味を理解した瞬間、ダイブはスプラッシュの手を握り、声を上げて泣いた。……今回の一件で、もっとも苦しみ喘いでいた男は、今、ようやっと拾い上げられたのである。ひとしきりの涙の後、ゆっくりと体を起こした彼の顔は、すっかり晴れ渡っていた。
「……スプラッシュ、何か歌ってよ」
 それを目にしてから、バブルは一つ提案する。スプラッシュはそれに頷き、ダイブの腕を引っ張ってバブルの横に座らせた。
 やがて、久しく流れていなかった、柔らかな歌声が漣に混じり始める。優しいハーモニーはきっと、船上にいるだろう海賊や、遠くで泳いでいるバブルの弟や異星の半漁人にも届いている事だろう。
 澱んでいた海は今、ようやく元の姿を取り戻したのである。


 終わり


 小説のリクエスト様、大変お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。 
 ご期待に添えていたら、そして楽しんで頂けたら幸いです。
 最後になりますが、リクエストありがとうございました。


PR
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