ワイリー研究所の一角、日当たりの良い片隅で、チューリップが暖かい春風に揺れている。赤、桃、紫の絨毯は土地一杯広がっていて、ぼんやり歩いてここに辿り着いたら、植物園に瞬間移動したのではないかと勘違いするほどである。花はそのどれもが美しく、ビロードのような艶々とした花弁から、作り手がいかに愛情を注いできたかが察知できた。
見事な花畑の前で、ウェーブは頭を抱えて座り込んでいた。カタカタ震えながら時折顔を挙げ、人工皮膚を真っ赤に染めると再び手で面を隠す、そんな事を繰り返しているのだ。
「凄いチューリップ畑だな」
そんな彼の隣で、ジャイロは感嘆の息を吐いてただただ、花畑を眺めていた。植物の知識があるウッドマンが育てたならともかく、そのようなものなど何もないウェーブがここまで拓いたのだから、驚きは一際である。感心したような彼に、しかしウェーブは首を振った。
「見事、じゃない。俺だって、どうして、こんな…………」
膝を抱えた彼は、何かを言いたげに視線を泳がせると、再び顔を膝頭に埋めた。少し強めの風が二人の間に吹いてくるが、目の前の花びらが散る事は全くない。第五次世界征服計画の際に、空中庭園を掌握した事がきっかけで、ジャイロは現在もそこで働いている。故にウッドマンほどではないが様々な植物を見ているが、ここまで強い花はなかなかお目にかかれない。隣にいるウェーブがどれほど手をかけてくれたか、目の前のチューリップはその身をもって雄弁に語っていた。
「……言葉より、簡単だと、思ったんだ」
風の音の中、か細い声が聞こえる。え、と視線をウェーブの方に向けたが、刹那にジャイロは視線を逸らした。あまり視線を送りすぎると、人見知りの彼が機嫌を損ねてしまう事を知っていたからだ。
「花を見ただけじゃ理解できない。でも、植えたこっちは満足できる。……いい方法だと、思ったんだ」
だけど。
「……こんなにたくさんになるなんて、思わなかったんだよ」
思慕を一つ浮かべるたびに、一つを植える。花言葉を耳にして以来、そのような決まりごとをウェーブは自分に課していた。人嫌いで言葉の使い方が上手くない自分にとって、それは思いを口にするよりもずっと簡単だと考えていたし、そんな量にはならないと思っていたのだ。
しかし、蓋を開けてみればチューリップの畑は広大となっていた。あまりにも果てなく広がる土地を見て、ウェーブはやっと理解したのだ。……声は確かにその場では恥ずかしいが、それは一瞬のものですぐに消えてしまう。しかし思いを何かに託すと、自身の抱えた物を目の前に突きつけられた上に、その物がなくならぬ限り、永遠に残り続けてしまうと。
洗浄液で目の淵を一杯にし、ウェーブは首を振る。揺れる世界で、目の前の花の色が不思議に混ざり合って、思いたくないのに綺麗に感じられた。
「……でも、一番伝えられたくない相手に理解されなきゃ、良いだけの話だ。……花言葉なんて、知らないんだろ?」
「知っているかもしれないんだよ! 地球の文化の勉強だなんとか言って、この前ウッドマンにそういったのを聞いていたんだよ、だから、もしかしたら……!」
ジャイロは名前を言いかけたが、それよりも強いウェーブの声に、簡単に上書きされてしまった。音の大きさに体を浮かすほど驚いたジャイロは、頬を掻いて一つ息を吐いた。
「……んで、どうするんだ、これ? 刈り取るのか?」
提案に、ウェーブはおどおどしながら体をびくりと震わせる。その態度にジャイロは呆れたが、反面理解もしていた。
「……枯れるまで、待つ、よ。もうすぐ、これのシーズンも終わりだし、それまで縄でも張って……」
「ああ、ウェーブ、ジャイロ、ここにいたのかい?」
背後から柔らかい声をかけられ、二人は同時に振り向く。茂みから顔を出していたのはウッドとスペースルーラーズのウラノス、それからネプチューンだった。最後の半漁人を目にした途端、ウェーブは身を小さくして、ジャイロの後ろに隠れた。しかししっかりとその姿を見られていたようで、ネプチューンは彼に頭を下げたのである。
「ほう、これは見事なカップリリィ……地球だと、チューリップでしたっけ?」
手前の一つ、赤色の花びらに触れながら、ネプチューンは尋ねるような口調でウッドに話しかける。
「そうだよ、君達の所ではこの花はカップリリィと呼んでいたの?」
「ああ……と言いたいが、良く見るとカップリリィとは少し形が違うな。まあ、ここまで似ていれば、カップリリィと言ってもさして違いはないな」
己が力で触れて、手折ってしまう事は恐れたのだろうか、ウラノスは顔を近づけただけで満足していた。
「精霊の王様が飲み物を飲むのに使うんだっけ? さっき話してくれたけれど……」
「うむ。その伝承が残っている地域では、季節の変わり目……特に春先になんぞに、カップリリィを模したコップに、濃く煮出した茶と甘蜜を入れ、長寿と健康を祈って飲んだそうだ。長命の精霊王に肖ったんだろうな」
ウラノスの話に感心しながら頷くジャイロの足元で、ウェーブは息を殺していた。この花畑に込められた思惑が、特にネプチューンにばれてしまうかが気がかりで、話はこれっぽちも耳に入っていないようである。その姿があまりに気の毒なので、ジャイロは黙って彼の頭を撫でていた。
「ワードカラハート……花言葉みたいな物も、長寿、でしたかしらね」
「ああ、その他の意味も長寿、健康、元気……と言った感じだな。だから老人や親に送られる事が多かったそうだ。もっとも、末期の頃にはすっかり廃れて、忌み嫌われていたそうだが」 ふうん、とウッドは切なげな相槌を打ち、目の前の花を一撫でする。
「いい言葉なのに……でも、場所が変わると、やっぱり花言葉も違うものになるんだね。地球ではチューリップは、特に恋を意味して、赤色は愛の告白とか、紫は……」
話がそこまで来た瞬間、耐え切れなくなったウェーブは悲鳴を上げてそこから逃げ出した。あまりの行動に、一同は呆気に取られていたが。
「……あ」
最も早く我に返ったウッドは、ばつが悪そうに口を押さえたが、遅すぎる判断だった。
「……ウッドマン、ここの花は確か、ウェーブが植えた、と……」
「……ああ……」
ウラノスの、ウッドの返事よりも先に、ネプチューンは声を上げ、そしてにんまりと満足げな笑みを作る。
(あんな反応しなけりゃいいんだがなぁ、まあ、ウェーブには難しい事かもしれないけどさ) クスクスと笑う半漁人を眺めた後、ジャイロはこの後の展開を予想しながら、一人思ったのである。
花畑からいくらか離れた茂みの中、ウェーブはまたぼたぼたと羞恥に涙を零しながら、小さく丸まっていた。事故だったとはいえ、知られたくない奴に知られてしまったと言う事実が重く、どうしようも出来なかったのだ。
「……っ、ふ……」
ひとしきりの震えの後、ウェーブは目から零れる物を拭って顔を上げた。ここにいても、ネプチューンに捕まるだけだと、ようやっと気づいたのだ。せめて錠がかけられる部屋に戻って、それから泣いたり喚いたりしよう、そう考えたのだが。
「ウェーブ」
行動は一歩遅かったようである。声の主から逃げようとするが、足の構造から機敏に対応する事が出来ず、ウェーブはいとも簡単にネプチューンに捕まってしまった。
「逃げなくったっていいでしょうに、アナタときたら」
腕の牢獄に囚われたウェーブは逃げようとするが、もがけばもがくほど拘束は強くなってゆく。罵倒を口にしようとするが、引きつった喉から出るのは呼吸の音ぐらいだった。
「本当にいじらしい人なんですから、本当に、アナタときたら……」
ありがとう。
囁かれた音には、いやらしさや疚しさ、その他悪い物は何も篭っていなかった。あるのはただただ、純粋な感謝だけなのだ。
「あれほど思われているなんて、私は、本当に幸せです」
恐る恐る振り向いたウェーブに、ネプチューンは優しい言葉と表情で出迎える。それと同時に腕の力が緩んだが、しかしウェーブはそこから逃げ出す事は無く、ただ頬を寄せるだけだった。
春の風はどこまでも柔らかく、想い人の腕は、血が通っていないはずなのに、まどろみを誘うほど暖かい。そんな心地よい世界の中、ウェーブは齎される物を更に感じ取る為に、ゆっくりと目を閉じたのである。
終わり
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