ある人がある人に、知り合いが見たという夢を語ります。
潜水さん 王様
抽象的過ぎてわけがわからなくなっています。
別タイトル、電波の悲劇……ってか
[0回]
白い世界の中、彼は卵を抱いていました。
卵は少し青白い色をしていて、大きさはニワトリのそれを一回り太らせたほどでしょうか、人の掌にはいささか納まらないほどでした。
卵を抱いた彼は、時折慈しむような視線を落としてはそれに頬ずりなぞをしています。その姿を例えるならば、腹に子を宿した人間の女という具合でしょうか。彼がそれを途方もなく愛していると言う事は、台詞がなくともその仕草だけではっきりとわかりました。
鉄鋼で出来た身の、しかも男が人の女の猿真似をしている。他人から見れば、彼の様は奇異ではありますが、非常に心温まるものでありましょう。しかし私はその光景をひどく恐れたのです。
何に恐れたかなぞ、わかりきった事でございましょうが、私は彼の人が愛する卵に恐怖したのです。ただの卵を何故恐れるのか、笑わないで下さい。何故なら、ああ、その卵の中身はこの世を阿鼻叫喚とさせんとするものが潜んでいたからです。
私はその卵を割ろうと手を伸ばしました。卵を愛する彼に罪はありません。罪があるならば、彼がそうなるきっかけを作ってしまった私の方にあるはずなのですから。
伸びた手に気づいた彼は最初何事かと見ていましたが、私の手の冷気に気づいたのでしょう、体を震わせると卵を自分の方に引き寄せました。もちろん、それは当然の行為と言えます。愛するものを壊してもいいなどと、誰が考えるでしょうか。
私はこの後、彼は抵抗するだろうと思いました。しかし、その予想とは全く違うことが起こったのです。
まず彼はじぃっと引き寄せた卵を見つめ、掌で優しく撫でていました。最初からゆっくりとしていた動きは、次第にその程度の速度すらなくなっていき、……そして、彼は私に卵を差し出したのです。
その行動の行き着く先にある結果が何であるか、聡明である彼ならきっとわかっていたはずでしょう。ましてや私の手の冷たさに気づいているのならば尚の事。それだというのに、彼は私に卵を委ねたのです。
彼の思惑がわからぬまま、私は掌の卵に微小に力を加えていきます。孵る前に、世に出る前に、壊さなければならない。これは私の義務なのだと。そう言い聞かせるのに、手にはなかなか力が入りませんでした。
自分の掌に苛立ちつつ、私は目の前の彼を見ました。彼の人は目を固く瞑り、祈るように手を組んでいました。小さく震えるその肩は心細く、見ているだけで憐憫のようなものが湧き上がってくるのです。
私はもう一度卵を見ました。青白く、一回り大きいそれは、彼の体温と私の熱以外のほの暖かさを持っています。殻の中のものがそれを生み出している事は間違えようのない事実です。
卵の中の者は生きている、それに気づいた瞬間、彼が何故卵を差し出したのかを悟りました。そうなのです、彼もまた、この卵を孵してはいけないとわかっていたのです。
ではそれを理解しながらどうして早々に割らなかったのか、というのはあまりに酷薄な質問です。抱いた卵を積極的に割る宿し手が果たしているものでしょうか。
ごめんなさい、と彼の口が微かに動きました。それは卵に対してか、それとも割る役を背負った椿堂に対してか、はたまた両方にか、正解はきっと彼にしかわからないでしょう。
私は力込める手を緩め、優しく卵に唇を落とします。これがもたらす結末がいかなるものか、わかっていましたが、しかしもう、私は祝福を与えずにはいられなかったのです。例えそれが世を混乱に陥れ、自身の身が二百由旬の先にある地に堕ちることになろうとも。
いずれ来る破壊の音に警戒していた彼の顔が、驚きのあまり空虚になりますが、それも一瞬の事でした。私が卵を返すと空であったその顔に、みるみるうちに表情が溢れて行きました。
ありがとう、と彼は言うと安堵の涙をぼろぼろと零します。私はそんな彼の人の頬を撫でると、額に唇を落としたのです。
「……と言う夢をそいつは見たんだとさ」
長い話を終え、ヒマワリの種を一つ口に放り込みながらダイブは息を吐く。塩が多くついているものだったのだろうか、口の中がひどく乾いていた。
「ある程度の内容はわかったつもりだが、そいつに言っておけ、賢く見せるために難しい言葉を使うのは良くないと」
話の付き合いをしていたファラオはからかうように吐き捨てる。酷くむっすりと唇を結び、ダイブはわかった、と短く返した。
「まあなにか象徴的なものだったが、で、その夢がどうしたと?」
「いやさ、もし実際に自分の身に起きたらどうなるだろうと思って」
「卵が宿っちゃう方か?」
「バカ、割る方だ」
なんだ、とファラオは呆れながら答える。
「私がどうするかなんてわからんが、少なくともだ、その夢を見た奴は現実でも割る事はないだろうな」
「なんでだよ」
「だって、そいつは誰にも相談しようとしないで割ろうとしていたからだ。……本当に壊す気があるならば、決心が揺らいだ時点で、いや、その卵を見た時点で誰かに相談しに行こうとするはずだ……自分が正しいと肯定してもらうために」
それをしなかったんだから、そいつには割る気がないって事だろう。
話終えるとファラオはもう相手はしないとばかりに、体を窓の方に向ける。何か言いかけたダイブは開いた口を閉じたが、少ししてああ、と膝を打ったのである。
(博士に相談しようとしない時点で、お前は割る気なんか毛ほどもないんだよ、ダイブ)
終わり
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