「人魚って嫌いなのよ」
そう言った彼女の姿も人魚を模っている。機械の人魚の前で立ち泳ぎなぞしている潜水夫を模したロボットはただ黙って彼女の言い分を聞いていた。
「人魚姫だって、ああ、あと日本のろうそくを作る人魚の話とか、とにかく人魚の出る話はいつだって不幸で悲しいものばっかり」
彼女は最初憤慨している、強い声調だった。しかしそれは終わりに近づくにつれ、暗く寂しいものへと変わっていき、ついには涙声になった。
「……こんな形をしていなければ、こんな思いしなくて済んだかしら……?」
顔を手で覆い、くすんだ声で呟く。可愛そうなこの人魚も、あと少しで処分されてしまうのだ。本人の意思によるものではなく、彼女が生まれるのを望んだ人間達の手で、だ。
「……でも、その形でなかったら、僕と君は会わなかったかもしれない」
黙って彼女の嘆きを聞いていた緑のロボットは、人魚の白い手を握りながらそう呟いた。実際、そうなのだ。彼女の体が人魚でなければ、自分達は会う事はなかっただろうし、会ったとしても、立場の関係でこんな親しい仲になるようなことはなかっただろう。
「この形、人魚の形だったからこそ、僕と君は出会えたし、そして」
彼女を引き寄せ、瞳だけを曲げてにやりと笑う。もし誰かがこの光景を見ていたら、きっと彼のその笑みは悪魔が浮かべるものと同じだと震え上がったことだろう。
「この悲劇を喜劇に逆転させることだってできるんだ」
人魚は目を見開いて男を見る。最初、彼の言っていることが少し理解できなかったが、言葉を反芻するうちにその意味の恐ろしさを知り、おもわず手を振り払った。
「……だめよ。世間に対してそうできても、兄弟や博士を裏切れないわ」
「でも、そうでもしなきゃ、君は悲しい人魚の末尾に加わってしまう。……そんなの、僕はいやだよ」
男は再度手を伸ばし、今度は人魚を腕の中に納めた。太い腕の中から見上げると、ゴーグルの中の目は本当に悲しそうに光っている。
頭の理性的な回路は警告を出す。それはいけないと。誘いに乗ってはいけない、と。でも、心は彼の誘いに揺さぶられていた。
「……もう一度、ちょっと辛い思いをしてもらうけれど、今度は博士が君達の所に来る」
男は捕らえていた人魚を放し、ぼつぼつと独り言のように呟く。
「たぶん、いや、必ず君達を勧誘してくると思う。……そう、君達にとって、ものすごく魅力的な言葉で」
話を続ける彼の目はもう見えない。人魚はただ黙って彼の声を聴いていた。
「……できれば、その誘いを受けて欲しい。それが最後のチャンスだから」
最後は振り絞るような、聞いていて辛い声で彼は言う。人魚が息を呑んでいると、彼は背を向けてしまった。
「……じゃあ、その時に、会えたら、また会おう」
いや。
「会えることを祈っているよ……スプラッシュ」
「バブル!」
人魚が手を伸ばそうとした瞬間、バブル、と呼ばれたロボットは水を蹴って遠くへと行ってしまった。掴み損ねた手を力なく落とし、スプラッシュという名の人魚は呆然とその後ろ姿を見送るしかできなかった。
黒い海の中に佇み、彼の言葉を思い出す。そのうちに動力炉が悲鳴を上げ、目の奥が熱くなっていった。
――どうして、彼の誘いに乗らなかったんだろう。
同じ誘われるにしても、彼に誘われるのと、彼を作った博士に誘われるのとでは自分の中で意味が大分違ってくる。
後から後から湧き出てくる後悔に押しつぶされそうになりながら、人魚はまた、水に溶けて消える涙を一人零していた。
終わり
最初短いものにするつもりだったのに、あれこれいれて長くなった上に判りにくくなっている。後半の要素は別にしとけばよかった。
新桃でもどえらい目に遭わせられるし、人魚って景気のいい話があまりない気がする。ぬーべーの速魚くらいかな? 景気よさげというか不運要素薄めなのって。
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