「例えば、何の変哲もない花畑があったとしよう。そこに一本、線を引いたとする。それだけでもう、こちらとあちらの二つに分かれてしまう」
机に線を引くように、目の前の羊は指を走らせる。頬杖を突いた緑の潜水夫は、ただ黙って動物を模したロボットの言葉を聴いていた。
「元は同じ場所なのに、だ。一本の線を引いただけで、意識の中でそこは別のものに変わってしまうんだ。線のない時はわからなかったものが見えてきて、例えばあちらには花が咲いている、こちらには実がなっている、という具合に違いが出てくる」
「そして、自分のいない方に羨望の目を向けるってわけか」
呟いた緑の男の言葉を、羊は頷いて肯定した。
「隣の芝生は青いという奴だ。人間は、他人が持ち、かつ自分にないものを羨ましがる。自分が相手よりずっといいものを持っていても」
「それは、人間に作られた僕達ロボットにも似ている、ということだよね」
羊はまた肯定する。緑のロボットは顎に手を置き、ぶっつりと黙ってしまった。
「分けられて……じゃあ、逆に考えれば、線がなければ、向こうの魅力には気づかない、ということなのかな?」
もそもそとマスク越しに呟いた言葉を羊は聞き逃さない。
「魅力……というよりも、違いには気づかないだろうな。それを美点とするか欠点とするかは、人によって違うがな」
それだけ呟いて、羊はテーブルに置かれていたティーカップの中身をスプーンでゆっくりとかき回す。入れられてから時間が大分過ぎているためか、温もりはほとんどなさそうだが、彼はさほど苦にならないらしくカップの縁に口をつけた。
「……線の向こう側に一度でも行ったら、魅力はなくなってしまうんだろうか。元いた場所に戻りたくなるかな?」
「さあね。もしかしたら、ずっと向こうにいたくなるかもしれないな」
羊が言葉を出して、数秒ほど経っただろうか。緑のロボットはよし、と言って勢いよく立ち上がった。
「……向こう側に行くつもりかい?」
「……どうなるかわからないけど、でも、このまま別れあっていても、幸せになれるかなんてわからないから」
決心したよ、と続けて言う彼は、二本の足でしっかりと立っている。羊はじっとそれを見て、少しだけ目を細めた。
「まあ、話を聞いてくれてありがとう、シープマン」
「私の方も有意義な遊びができて楽しかったよ、幸運が君達に訪れることを祈っているよ、バブルマン」
別れの握手をして、バブルマン、と呼ばれた緑のロボットは部屋を出て行く。彼の背中を見送りながら、シープマンは冷えたミルクティーを啜った。
「……線を越えると、決めた時から君は幸福への一歩を踏み出しているんだよ、って餞代わりに言ってやればよかっただろうかな」
すでにいない者に言えなかった言葉をかき混ぜ、羊は虚空に一つ、息を吐いた。
終わり
わかったようでわからんような、哲学っぽいのを一つ。
シープさんは観察者で哲学者……というよりも考えてみるのが好き。ただ飽きっぽいので結論でたことなし。
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