スプラッシュに呼び出され、バブルはいつも落ち合う場所にあるテトラポットに腰をかけていた。彼女の物言いがえらく改まっていたことが気にかかり、どうも気分が落ち着かない。やたら体内時計を気にしては、時間の進みが遅いことに腹を立てていた。時刻はもうすぐ彼女が指定した時間になろうとしている。
「……お待たせしてごめんなさい」
やがて消え入りそうなか細い声を出してスプラッシュが岩陰から出てきた。その顔は声と同じようにひどく申し訳なさそうである。
「いいや、さほど待っていないよ。……どうしたの?」
スプラッシュを隣に引き上げようとバブルは手を伸ばしたが、細い腕が布に包まったなにかを大事そうに抱えていることに気づき、自分から彼女の方に近づいた。すると、スプラッシュは反射的であろうか、包みを胸に押し付け、少しだけ後ずさった。
「いったいどうしたんだい? 何か、あったの?」
スプラッシュの反応を寂しく思いながらもそれを隠し、バブルは彼女に尋ねた。スプラッシュは顔を俯け、包みをじっと見つめる。
「……こんなことを貴方に言ったら迷惑になるって、今まで黙っていたんだけど……」
唇を噛み締め、悲壮な空気を漂わせてスプラッシュは声を絞り出す。
「……聞いても……怒らない? 」
「……それは聞いてみないとわからないよ」
「……あのね……」
黄色いイヤーレシーバーにスプラッシュの唇が近づく。頭を彼女の方に傾け、なにごとか、と肝を冷やしながら言葉を待った。しかし近づいたはいいが、スプラッシュは未だに決意がつかないらしく、視線を逸らしていた。波飛沫が四回は跳ねた頃、ようやく心を決めたのか、口を開いた。
「……貴方の赤ちゃんができたの」
足元の子蟹の歩く音が波間に響く。一拍の沈黙を置いて、バブルは悲鳴に近い声を上げた。
「あか、あか、赤ちゃん??!」
告白の衝撃で落ち着かないバブルの横で、スプラッシュは腕の布包みをひしと抱きしめる。
「……四ヶ月前に生まれたの。貴方に迷惑になると思って、ずっと黙っていようとしたの。でも」
そこで言葉を切り、スプラッシュは顔を再び俯けた。ようやく人心地ついたバブルはそっと彼女の隣に歩み寄った。
「……スプラッシュ」
大きい瞳がゆらゆらと揺れているのは涙をこらえているからだろうか。バブルは白い頬に触れながら静かに笑った。
「……迷惑なんかじゃないよ」
「バブル……」
「これからのことはどうにだってできるから。……大丈夫だから」
―― 一人で悩ませちゃってごめんね。
そう言葉を送り、額同士をくっつける。
「僕にも、赤ちゃん、抱っこさせてくれる? ああ、名前も決めてあげなきゃ……」
「……っ、く、う、くく……」
突然、赤ん坊を包んだお包みが笑い声を零しながら震えた。何事かとバブルが覗き込んだ瞬間。
「だ、だめだぁああ!! これ以上は! かゆくなっちゃう!」
ぷはっ、と大きく息を吐きながら白い布から顔を出したのは、耐熱箱を脱いだヒートだった。
「ヒ、ヒート?」
「後はよろしくね、お姉ちゃん!」
お包みから飛び出したヒートはばたばたと足場の悪いテトラポットの間を駆け抜けていった。
「……」
「……」
残された二人は呆然と去ってゆく小さい背中を眺めていた。
「……今日ってエイプリルフールだっけ……」
バブルがぼそりと呟く。スプラッシュは今度こそ、本当に申し訳なさそうに眉を下げた。
「……ヒート君にエイプリルフールだからって、言われて……」
「僕は二人にだまされたわけか」
不機嫌そうに言うと、バブルはぷい、とそっぽを向いた。
「……ごめんなさい……」
スプラッシュそう謝った後、顔を俯けて黙ってしまった。
言っていいことと悪いことがある。それを知っていながら、恋人を傷つけてしまった己が許せなかったのだろう。
今にも、本当に泣き出しそうなスプラッシュの頭を抱きかかえ、バブルは額に唇を落とした。
「……もう怒ってないよ」
肩に軽く手を置き、テトラポットに腰をかける。ヒートが入っていた布を手に取ると、バブルはそこに赤ん坊でもいるかのように横抱きにした。
「ロボットに赤ちゃんなんて、できるわけないけど……」
あやすように、腕をゆっくりと動かす。スプラッシュはその様子を、じっと見つめていた。
「……でも、神様の気まぐれで、君と僕の赤ちゃんができたら……さっきみたいに黙っていないで、僕にちゃんと伝えてね」
一人で抱え込まないで、僕も背負わせて。
バブルの言葉の終わりを待ってから、スプラッシュは腕を伸ばし、彼の手を握った。
「……ありがとう……」
ありえない架空を信じ、そして約束をくれたバブルの心が嬉しいと同時に申し訳なくて、スプラッシュはそう言葉を紡いだ後、また小さく、ごめんなさい、と呟いたのだった。
終わり
おまけ
「あれ、ヒート、もう帰ってきたの?」
海辺にほど近い場所にある公園で、ブランコをこいで遊んでいたアイスは、テクテクと走ってくるヒートを見つけて声をかけた。
「おうおう、どうだったエイプリルフール? バブルの奴、ひっかかったか?」
預けていた箱型の耐熱装甲をつけるヒートに、クラウンはにやにや笑いながら話しかける。
「ひっかかったなんて、もんじゃないよ」
そう一人呟いて、スプラッシュの腕に抱かれて聞いた会話を思い出す。……ロボットであろうと、人間であろうと、相手にあんな風に思われたら幸福であろう。初めて目の当たりにした、愛し合う二人の姿が体に受け付けないのか、ヒートはおかしなむず痒さを覚えた。
「もう、だめ。アイス、背中掻いて。かゆいんだよ」
「いいけど……?」
箱の隙間に手が差し込まれ、ぽりぽり、と優しい振動が送られる。ようやく人心地ついたヒートは盛大に息をついた。
終わり
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