配線や機材、液晶画面などで狭くなっている窓から外が見える。鉛色の空が重々しく、僅かに覗く針葉樹には雪が被さり、太い枝を撓らせていた。
この国の冬は長くて厳しい。太陽を最後に見たのはどれくらい前だろうか。目を閉じて思い出したその姿は、じっとりとした雲に包まれて、微かな白光をなんとか地上に届けようとしている、弱々しいそれだった。
手足に重りをつけられたように体がだるい。CPUの動きも鈍く、長い時間考える事が出来ない。そのくせ動力炉の動きは活発で、体中にオイルを運ぶ輸液パイプが無理矢理に広がって、痛みすら感じられた。
熱でぼんやりとした頭に、自動ドアが開く音が響く。誰だろう、と顔を向けると、青い装甲が目に入った。
「ポンプ、調子は……良くないに決まっているよな」
大きい足音共に、朗々とした声が披露した体に沁み渡る。大好きな人……ダイブマンの訪問は、弱った心に少しだけ元気をくれたようで、ポンプは強張った顔を和らげた。
「ん、んん……朝よりは楽になっています……」
大きくて広い掌が頬を撫ぜる。ほんのりと冷たいのは外に出ていたからだろうか。微かに香る雪の匂いが、今はただ心地よかった。
本当はその手に触れたいところではある。しかし、四肢を捕らえるように付けられたコード類で、可動域は限られていた。検査の為ではあるが、ポンプの体におびただしく取り付けられたそれは、まるで彼を拘束しているようだった。
普通ならここまでの事は……人間で言う所の風邪、のようなウイルスに感染したくらいで、こんな風に動きを制限する、などと言う事はしない。ワクチンプログラムを組み込んで、自室で寝ていれば済むはずなのだ。
それが出来ないのは、ポンプが以前、世界中で大問題となったロボットエンザで熱暴走を起こしているからだ。現在はプロテクトなどが施されているので、かつてのような事にはならないはずである。しかし万一を考えて、用心のためにこのような処置が施されているのだ。
痛々しい、とダイブは悟られないように息を吐く。自身の生み親であるコサックも、この処置には難色を示していた。ロボット連盟には、何度も暴走したロボットはもう大丈夫だ、安全だと説明しているのだが、世間と言う物はなかなか納得してくれないのだ。
「博士の見立てだと二三日したら完治するって話だ。だから、大丈夫だよ」
頬を揉むように撫でると、ポンプは痛いとは言わないがほんの少し顔を顰める。ごめんと短く謝ると、彼は大丈夫だと言ってくれたものの、その顔はあまり晴れてはいなかった。
「……大丈夫、ですよね。あんな風に、ならない、ですよね……?」
手を離そうとしたその刹那、ぽつりと心細い音が零れる。深碧の瞳は憂いに揺れ、発熱しているはずの手は氷のように冷たかった。
……あの時の事は、時間が経った今でも彼を苛んでいる。熱暴走によるものであり、本人の意思による破壊活動ではなかった。……いや、だからこそポンプは不安なのだろう。自分の中にあんな行為をしようとする心がある事を。不可抗力、どうしようもない事だったと、周りから一応庇われるだけ余計に苦しいのだ。カリンカを救う為、自らの意思で悪事に手を染めた自分達よりもずっと。
自分より幾分小さい手を握り締めて、ダイブは大丈夫だと寝台の上のポンプに囁きかける。普段なら素直に言葉を飲み込むのだが、不調により心細さのせいだろう、彼はなかなか頷いてはくれなかった。
「あの時みたいになったら、俺が全力で止めるよ。だから、大丈夫だ」
頭を抱えながら撫でると、ポンプはようやく安心したのか、小さく返事をしてくれる。
「こう、ほら……手ぇ握っているから、少し寝た方がいい。大丈夫、寝たらずっと良くなっているさ」
指を絡ませるように左手を握り締める。守るような感触が心地よいか、ポンプはうん、と頷くとゆるゆると目を閉じた。
焦げ付いた匂いが辺りに充満している。ねばねばとした感触は、これはプラスチックが溶けた物だろうか、わからない。バチバチと言う音共に降りかかる火の粉が熱い。周りを見回してみても、見えるのは瓦礫だけだった。
ここは一体、どこだろう。怖々と周囲を探ってみるが、動くものは鼠一匹の影すらない。何か、と思って眺めても、それは天井から下がったケーブルだった。
ゆっくりと歩を進める。……自分はここを知っているような気がする、とその考えに至った途端、背筋に冷たい物が走った。
まさか、そんな。呟き、狼狽える自身の耳に動力炉が動く音が響く。抑えようにも、おぞましい予想に心が乱れて沈めるどころか激しくなるばかりだ。
新鮮な鉄の臭いが一瞬通り過ぎる。崩れた通路の向こうからしているようだが、そちらには行きたくない。だって、そっちに行ったら見てしまうのだ。その香を放つものを。
やっぱり、やっぱり。呟く中で、左手が温かい事に気が付いた。この温かさを自分は知っている。大好きな人の大きな掌だ。
ダイブマンが隣にいる、だから大丈夫。そう思って隣を見る。見覚えのある大きな手が視界に入る。安堵の息が漏れそうになったが、即座に喉の奥へと戻ってしまった。
手はある。その上の、逞しい腕もある。でもそこから先が。
「あああああ!!!」
悲痛な声にダイブははっと意識を取り戻した。しまった、寝ていた、と思うよりも先に、裂けんばかりに目を見開いたポンプが、イヤイヤと激しく首を振る悲痛な姿が飛び込んできたのだ。
「ポンプ、ポンプっ!!」
驚いて彼の名前を呼んではみるが、混乱したままのポンプはただ血のような叫びを上げるだけである。ダイブは謝罪を口にすると共に、彼の頬を二、三度軽く叩いた。
「あ、あ、あ……あぁ……」
ようやく我に返ったか、悲鳴が少しずつ小さくなる。その代りだと言うのか、瞳からボロボロと雫が零れ始めたのだ。
「ダ、イ、ブ、僕、僕、やっぱりっ」
咽喉の引きつりのせいか、声が渋滞を起こして出てこない。だが、縋る手と口の動きで、何を言いたいかすぐに理解できた。理解できたからこそ、次の手をダイブは打たねばならなかった。
「僕、また、ぼうそ……っ!?」
続きを紡ごうとした口が分厚い唇に塞がれる。目を白黒とさせたポンプは、体を捩じって逃げようとするが、絡みつくコードと、何よりダイブの太い腕に捕えられてどうする事も出来なかった。
吐息も声も、心すらも吸い上げるような力強い口づけのおかげだろうか、ポンプの抵抗は次第に弱まっていく。瞳の色もそれに合わせて、穏やかな物へと変化していった。
もう大丈夫だろう。彼の安心を認識したダイブは、ようやく唇を離したのだ。包むように指を組んだダイブは、そこに口を近づけて一言二言を呟いた後。
「悪い、ちょっと寒くなる」
そんな言葉を口にして、寝台から離れていく。熱と甘い物でぼやけた頭を働かせようとするポンプの頬を、冷たい物が突然撫でていった。
氷と雪の爽やかな冬の匂いが充満する。窓を開けたダイブは寒さに身を震わせながら、握りしめたままの拳を大きく振りかぶった。
何をしているんだろう。寝台寝たままのポンプが尋ねる前に、ダイブは窓を閉めた。一瞬寒さが漂ったが、刹那もしないうちに暖房に駆逐されてしまった。
「……もう大丈夫、悪い夢は捨てたから」
いつものように笑うと、ダイブはポンプの薄い唇を指で拭う。そのまま掌で包むように頬を撫ぜた。顔一杯に味わう掌は相変わらず厚く、温かである。強張った面は、太陽の笑みで瞬きもしないうちに溶けていった。
「夢を……?」
「ほんとは、やり方違うんだけどな。……こう、手を包むようにして、そこに見た夢を言って、窓から捨てるんだ。ほんと、は」
咄嗟の行動が今更恥ずかしくなってきたらしい。説明をするダイブの頬は、すっかり朱に染まっていた。
「ほんとのやり方、したかったけど、お前が泣いていたからさ。すぐに助けなきゃって思って……」
「……ううん、ありがとう、ダイブ。すっごく嬉しい……」
珍しく呼び捨てにして、ポンプはようやく穏やかな笑みを浮かべた。……本当に、大好きなこの人は、助ける為ならば豪快な事をやってくれる。それが救助者であっても家族であっても、恋人であってもだ。
「ん、ああ……そうだ」
良い事でも思いついたのか、ダイブはポン、と手を叩く。ポンプが小首を傾げていると、青いロボットはいそいそと寝台の上に寝転ぶ。そのまま大きく腕を伸ばすと、横から恋人を抱きしめたのだ。
「え、え、ダイブ……?」
「手だけじゃ不安になるもんな。最初からこうしておけば良かったんだ」
同意を求めながら、ダイブは白い歯を見せて笑う。大丈夫かな、とポンプは考えたが、逞しい腕に包まれてしまうと、そんな懸念は太陽の笑みによってみるみるうち溶かされてしまった。
これなら、あんな夢は見ないかもしれない。いいや、決して見る事はない。絶対的な安心と幸福に包まれて、居場所を見つけたポンプはもう一度目を閉じる。おやすみ、と微かな優しい声が聞こえると同時に、瞼に柔らかい物が落ち、確約を得たポンプの意識は、とろとろと暖かい海に蕩けていったのだ。
ポンプの体調不良は、三日もしないうちに回復した。ただ、重量級二人の重みで、メンテナンスルームの寝台にヒビが入り、ダイブはブライトとカリンカからいくらかの小言を貰ったが、それは別の話である。
おわり
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