「こちら、ミセタン百貨店7階イベント会場は現在、チョコレートフェアを開催しております。有名ショコラティエや国内外のメーカーなど、数多くのチョコレートの販売が行われています」
アナウンサーの一言と共に、カメラは奥へと焦点を合わせる。ぎゅうぎゅうに敷き詰められたブースには、多くの人が集まっている。その大半は予想通りと言うべきか、女性客であった。
カメラは再び、アナウンサーの所へと戻って来る。彼女は隣に立っている店員を紹介し、今年の流行などいくつかを話してから机の上に置かれている商品へと目を向けた。
「今年の注目商品はこちら、フランスを代表するショコラティエ、ピエール・ナイト氏の新作です」
そう言って手に取った箱は小さく、掌に収まるほどの物である。蓋を開けると、そこには一口サイズのチョコレートが四つ、ちょこんと行儀よく鎮座していた。
「あれ、ウマソーだな! 一個食べてみたい!」
画面を眺めていたクラウンマンは、上品なチョコレートを指差して笑う。彼を膝に乗せ、同じように鑑賞していたスプリングはソーデスネー、と妙な訛り口調で相槌を打った。
「あれ位だったら、俺でも買えるかな?」
「ウーン、チョット難しいと思いマース。量が少なくっても、こう言ったブランドのチョコレートってお高いデスカラネー」
そうかな、とクラウンが疑っていると、アナウンサーはチョコレートの値段を口にする。その金額はスプリングが予想していた通りのものであった。
「うええ、たった四つで、あんなちっさいのに千ゼニーもすんのかよ!」
今食ってるお菓子が十個買えるぞ。手に持っている子供向けのチョコと画面を見比べながら、クラウンは溜め息を吐いた。
「ブランドのチョコって、材料とか技術か、とにかく凝って作るって聞いてマース。だからオイシーけどお高くなるんデース」
「材料とか、そんなの凝らなくていいよ。俺はうまくて腹一杯食える方がいいー」
ぶっすりとむくれながら、彼は口の中にチョコを放り込む。いくらか咀嚼していると、クラウンはスプリングの方を向いてにやりと笑った。
「そーいや、お前もやるんだろ、チョコ」
はて、とスプリングは問いかけに首を傾げていたが、テレビ画面とクラウンの顔をしばし眺めてようやく合点の相槌を打った。
「オウ、シェードに贈り物はシマース。だけど、チョコは上げないデース」
残念でした、と言う代わりに指を振ってみせる。スプリングの仕草を見た子供は、つまらなそうに唇を尖らせた。どうやら試作品や味見などのおこぼれを期待していたらしい。
「チョコじゃなかったなんだ? まさかトマトジュースか?」
「ノウ、今回はちょっと違うのを、大人っぽいのを贈るデース」
何かを期待しているのか、スプリングはクスクスと笑う。嬉しそうな年上のバネ人形を眺め、クラウンは悪態を吐く代わりに首を傾げたのである。
十四日当日。自室に籠ったスプリングは、腕まくりをする動作をして机の前に向かった。
「よーし、サッソク、試作品を作ってみるデース」
そう言って彼は棚から瓶を取り出す。少し大きめのそれには真っ赤な液体が詰まっている。蓋を取ってコップに注ぐと、ほんの少しを口にした。口腔内に広がる甘酸っぱい味に、スプリングはきゅうと目を閉じた。
「……うん、我ながら上手に出来てマース」
普段は見せない、小さな口の端を拭い、満足の笑みを浮かべる。赤い液体……自家製トマトジュースを脇に置き、スプリングはまた棚を漁る。次に取り出したのは先ほどと対照的な、透明な瓶であった。
蓋を外してそっと匂いを嗅ぐ。アルコールの、なんとも当たりの強い香りに頭がクラクラする。顔を少し離し、新鮮な空気を一杯に吸うと、強く首を振って香りを飛ばした。
「オフ……お話には聞いていましたけど、ホント、強いお酒デース……」
香りだけでノックアウトしてしまったのか、それを口にする事無く、トマトジュースの脇に置く。ウオッカと英字で記されたそれを、スプリングは怖々と眺めていた。酒そのものを口にした事は何度かある。しかし大体がアルコール度数の低い、ジュースのように甘い物ばかりだったのだ。
シェードはともかく、自分が口にしても大丈夫かしら。若干の不安を覚えるが、味見をしない物を彼に飲ませるなんて出来なかった。
「……トマトジュースでアルコールは薄れるデショーシ、多分ダイジョーブデース」
腹を括ったスプリングは、CPUにダウンロードしていたデータを引っ張り出す。目当ての項目を見つけた彼は、早速贈り物の試作を作り始めた。
指示通りの量のウオッカをグラスに入れ、次にトマトジュースを注ぐ。均一になるように掻き混ぜて、出来上がりである。
「ウン、ブラッディー・メアリー完成デース」
マドラーを引き抜き、朱色で満たされたコップを照明に照らす。キラキラと輝くそれを眩しそうに眺めて、スプリングは早速口を付けた。腔内に流れてきた物を、小さな舌で掻き回してたっぷりと味わい嚥下した彼の顔は、いまいち釈然としていなかった。
「んー……チョット多すぎたですカネー?」
参考にしたレシピに書かれていたトマトジュースの分量がお好みだったからだろうか、手の中のそれに酒の気は全くなかった。
「じゃあ今度はトマトジュースを少な目にして……」
一杯を飲み切り、空になったコップにウオッカを注ぐ。先ほどよりもトマトジュースを少な目にした物を作り上げると、もう一度口の中に流し入れた。
「ん……ぐっ、こ、これはチョット、トマトジュース!!」
灼け付くような味に、スプリングは目を白黒させながらトマトジュースを追加する。即興で作った物を大急ぎで嚥下して、ようやっと人心地付くたバネは安堵の息を吐いた。
「ビックリシマシータ……ウオッカは噂どおりの強さデスネー」
感心のあまり頷いてしまっていたが、そうゆっくりもしていられないのだ。だって、シェードに今晩、部屋へ来てもらうようにお願いしていたのだから。
「さっきの量はダメだから、今度は……」
一人ごちりながら、スプリングはウオッカを、今度は規定量より少なめにしてコップに注ぐ。夜までに、約束の時間までに、シェードがおいしく飲める物が作れるようにしないといけないのだ。とにかく、彼は必死だった。
夜もまだ早い時間であると、通路のそこここに人影が見受けられる。スプリングの部屋へと向かう間に、シェードは何人かとすれ違っていた。時折口の悪い者が頑張れよ、などと冷やかし半分の言葉を投げかけてくるが、それを軽く笑って受け流して、蝙蝠はようやっと恋人の待つ部屋へと辿り着いた。
「スプリング、お待たせしました。スプリング……?」
ノックをしてみたが応答はない。首を傾げたシェードはキーロックの解除番号を入力する。申し訳ないと心で謝りながら、開いた扉を潜り抜けてみると、机に突っ伏している恋人の姿が瞳に飛び込んできたのだ。
「スプリング?!」
白い人工皮膚が真っ青になるのではないかと言う程に大慌てで彼に掛け寄る。反応鈍く呻くだけの彼を抱き起すと、ふわんと酒の匂いが漂ってきた。
「スプリング……?」
「……ん、……あ……しぇー、ど……?」
顔を上げた彼の頬は完全に真っ赤に染まっていた。よくよく机を見てみれば、底に僅かな朱が残った瓶があった。更に隣を見ると、液体が三分の一程残っている酒の瓶が、仲良く置かれているではないか。
「どうしたんです、何かヤケ酒でもするような事でもあったんですか?」
棚の中から水の入ったボトルを見つけると、シェードは蓋を開けて差し出す。バネの子は貰った物を口にしようとするが、酩酊状態の手元は危なっかしく、蝙蝠は彼の肩に手を回して飲ませたのである。
「……うふ、そーりー……作るのに夢中になっていたら、コンナ事に……」
冷たさで多少目覚めたようだが、それでも翡翠の目はゆらゆらと揺れる。全くもうと言わんばかりに、シェードは肩を竦めた。
「夢中になるのは良い事ですが、体に影響があるのはダメですよ」
「ううん……ソーリー……」
頭のバネまでしょぼんとたわませて、スプリングは今にも泣き出しそうに目を瞬かせる。赤くなった彼の頬をやわやわと撫でて、シェードは再び机の上の瓶に目を向けた。
「ブラッディ―・メアリーですか」
ウオッカの瓶を持ち上げ、シェードは目を細める。さすがと言うべきだろうか、すぐに何を作ろうとしていたか分かってくれた恋人の言葉に、スプリングは素直に頷いた。
「イツモ、トマトジュースばかりでしたから、変わった物を、シェードに似合う物を、贈りたかったデース」
言葉を濁しながら、ちらりと机の上の惨状を眺める。ウオッカはともかく、トマトジュースは一滴くらいしか残っていなかった。
「……でも、もう、何も残ってない……」
いよいよもって暗くなるスプリングの顔を上に向かせ、シェードは柔らかく目を細めた。
「そんなにしょんぼりしないで下さい、スプリング。何も残っていない、なんて事はないですよ」
気に病む彼に顔を近づけ、小さな唇に蓋をする。驚きで目を丸くするスプリングを見ながら、更に舌を口の中に滑り込ませた。
「ん、ふう、むむぅっ」
歯列をなぞり、柔らかい舌を押し潰す。掬い上げ、絡ませ、啜り上げ、ゆっくりと口の中を堪能する。微かに感じ取れる、甘酸っぱいトマトジュースの名残に微笑む彼とは対照的に、スプリングは酔っているのも手伝っているからだろう、もてなす事も出来ずにただ遊ばれるだけだった。
少しだけ治っていた頬が、また朱に染まる。スプリングの瞳が再び、トロリと溶け出している。甘い色に染まった彼を見つめ、シェードはようやく唇を離した。
「あ……ふ……は……ぁ……」
快楽に翻弄され続けてきたスプリングは、ぐったりとシェードにもたれかかる。バネで出来た体を受け止め、蝙蝠はにんまりと頬を吊り上げた。
「ごちそうさま、スプリング」
びくん、と桃色の体が跳ねる。敏感になっているのか、どうやら囁きですらも感じてしまうようだ。落ち着くように、とその背をゆっくりと撫ぜる。スプリングは瞼をしきりに擦ってから、一つ、深呼吸をしてシェードの顔を見た。
「ちょっとでも、おいしかったですよ。今度の時を楽しみにしていますからね」
つん、とくっついた額が熱い。何かを言おうと口を開いたスプリングは、しかしきゅっと閉じると、シェードの胸にそっと顔を押し付け、ひたすらに甘えたのである。
終わり
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