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【2024/04/23 16:06 】 |
捩摺の君(陰春)

陰春
陰←春が陰×春になるまでの話



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 シェードマンは時々、管理しているバットンを第二期ナンバーズのウッドマンが手入れしている森に放す事がある。ロボットであるが、モデルとなった動物の習性がインプットされているせいだろう、バットンなどの動物型ロボットは元となった物が住んでいる場所を好む傾向がある。バットンは屋根裏や物陰を好み、普段はそこで待機しているのだが、時々外に出たがるのだ。
 最初こそその行動を不思議に思っていたが、ウッドからそのような説明を受けて以来、彼は何匹かを交代で森に放していた。最初は場所を変えたところで違いなぞないのではと思っていた。しかし戻ってきたバットン達の調子が良い事がわかってから、シェードは部下を引き連れて積極的にここに足を運んでいた。
「いらっしゃいシェードマン。今日は何匹くらいかな?」
「よろしくお願いしますウッドマン、今日は五匹です」
 連れてきたバットンを出迎えてくれたウッドマンへと手渡す。蝙蝠達もこの檜のロボットが気に入っているのか、挨拶とばかりに柔らかい頬にすり寄った。
「あはは、元気がいいね。うん、わかったよ。それじゃあこの前の子達を返そうね。まだ森にいるんだけど、シェードマン、ここで待っている?」
「いいえ、散歩に丁度よさそうですし、私もついていきましょう」
 そう言って二人は歩き出す。バットン達もその後を追うのだが、一様にウッドの方へと集まっていく。彼の持つ穏やかさに惹かれているとは思うのだが、これではどちらが主か分からない。シェードが苦笑を浮かべていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ウッドマーン、蜂の巣取るのオワリマシーター」
 ふるん、と揺れる桃色の長身を目にし、シェードはほんの少しだけ顔を顰める。大きなビニール袋を携えて、意気揚々と言わんばかりに向こうから不思議な調子で歩いてくるのは、シェードマンと同じ第七期ナンバーズのスプリングマンだった。
「ああ、お疲れさまスプリング! ごめんね、大変だったでしょう?」
「ノープロブレム、ご心配なくデース! この通り、スズメバチの巣、取ってキマシータ」
 そんな事を言いながら、スプリングはウッドにビニール袋を差し出す。傍らで話を聞いていたシェードは、ぎょっとして二人から二、三歩ほど距離を取った。刺される心配はないとはいえ、スプリングが持ってきた袋の大きさを考えると、流石に怖がらずにはいられない。よくまあ、二人ともあんなものを近くにいて平気でいられる物だ。蝙蝠は思わず感心した
「結構大きい巣だし、僕が取りたかったけれどあんまり高い場所にあったから……ごめんね、苦労掛けちゃったね」
「苦労なんてソンナ! これで博士が刺されないならオールオーケイデース」
 クスクス笑っていたスプリングがふと顔を上げる。その刹那、視線が合ってしまい、シェードは思わず目を逸らした。
「シェード! どうしてコチラに?!」
 スプリングはぱあっと笑うと、つんのめるような、ハクセキレイのような奇妙な足取りで蝙蝠の所へと歩いて行った。
「どうもスプリング。バットン達を放しに来たんですよ」
 一息に、突き放す様に告げるとシェードは色んなものが入り混じった息を吐く。目の前のバネは、どういうことだと言わんばかりに、きょとんとした顔で蝙蝠を見つめていた。
「バットン達は暗がりも好きだけど、こういった森も好きなんだよ。だから、たまにここで遊んでもらうの。そうすると元気になるんだよ」
 間に入ったウッドの言葉に、スプリングは納得の頷きを一つする。そんな二人を見ながら、シェードは口の中で助かったと呟いた。
「ナルホドー。ああ、それでなんだかバットンが一杯いるんデスネー」
「そういうこと。それじゃ、この前放した子達を集めようか」
 そう言った後、ウッドは指笛を鳴らす。さわさわと梢が揺れると共に、何体ものバットン達がこちらへと飛んできた。
「スゴイデスネー、ウッドマンの指笛がわかるナンテ」
 バットン達は主であるシェードに群がっていく。が、そのうちの一体はなぜかスプリングの頭に止まったのだ。
「……あら?」
 不思議な事態に、シェードは首を傾げる。ウッドに止まると言うのならまだわかるのだ。彼はここを管理しているし、バットン達の面倒も見てくれているのだから。
 スプリングに止まったバットンは、彼の頬に体を擦り付ける。先ほどウッドマンがされていた物と同じ、お気に入りの頬擦りだ。
「スプリングマン、その子に懐かれたみたいだね」
 自分の方にもやってきたバットンを撫でながらウッドは言う。スプリングは丸い目をさらに丸くして、一体のバットンの頬を擽った。
「ウン……ああ、この子、さっき木に引っかかっていたンデス。それで取ってあげたンデスケド、ありがとう、って言ってくれているンデスカネー」
 子供に話しかけるような調子でスプリングが尋ねると、丸い蝙蝠は全身を使って頷く。バネを見つめるその目はキラキラとして、親愛の情を雄弁に語っているのだ。
「M48-6、何をしているんですか」
 渋い顔をして様子を眺めていたシェードは突き刺す様な口調で言い放つ。バットンは小さな声を上げ、名残惜しそうにスプリングから離れた。やっと自分の所に来た小さな蝙蝠の額をぐりぐりと人差し指で押し撫でて、シェードは一つ息を吐いた。
「部下を助けていただき、ありがとうございます、スプリング」
 考える事は様々にあるが、ひとまず礼は言わなければいけない。紳士的な蝙蝠が珍しく、ややぶっきらぼうな口調で感謝を述べると、スプリングはきょとんと目を丸くした。僅かな沈黙が辺りを包んでいたが、頭に言葉がようやく届いたのか、スプリングは程なくして黄色い悲鳴を上げた。
「ワアアアア! とんでもないデスっ、嬉しいデースっ、シェードっ!!」
 飛び跳ねるつもりなのかとシェードは身構えたが、そんな事はなく、ただスプリングは大きく大きく伸びただけだった。とはいえ、元々長身である彼が胴や太腿を伸ばしたのである。その長さ、高さたるやナンバーズ随一の大きさを誇るジャンクマンですら負けてしまう程だ。しかしふらふらと揺れる物だから、その姿は不安定を通り越して不気味だった。
「……っ、そんな大げさにする事でもないでしょう」
 早鐘の如く鳴る動力炉を抑えつつ、シェードは冷汗浮かぶ額を拭う。普通のロボットや人間だったら、嬉しさのあまりにジャンプするなんてただ微笑ましいだけである。しかし目の前のロボットにそれをされると大変な事になるのだ。少なくとも、自分にとっては。
 盛大な溜め息を吐き、強張った肩の力を抜いて足元を見ると、桃色の何かが見えた。目を凝らしてみると、それは小さな花をいくつも付けた植物だった。真っすぐに天を指す茎に、無数の可憐な花弁が螺旋状に咲いているのが面白い。
「ウッドマン、これはなんです?」
 目の前のバネから少し視線を外そうと、シェードは無理矢理に話題を引っ張り出して、傍らに立つ檜のロボットに話を振った。
「それ? それはね、ネジバナって言うんだよ」
 花の近くにしゃがみこみ、ウッドマンはにょろりと伸びた花を撫ぜる。ついでと言わんばかりに、元に戻ったスプリングもその隣で足元の螺旋を覗き込んでいた。
「見た通り、茎は真っすぐだけど、花は螺旋を描く様に捩じれながら咲いているでしょう? だからネジバナって言うの」
「へえ、まるでスプリングみたいな花ですね」
 巻いている部分なんか特に。一瞥の後、シェードはそんな言葉を口にしたが、すぐにしまった、と臍を噛んだ。意識を変えたかったのにどうして彼を連想してしまったのか。自身の事であるのに、当人にも理由が見つからなかった。
「え、エ?」
 紫の蝙蝠の言葉を聞き、スプリングは驚喜の声と共に頬を染める。花を見つめていたウッドはクスクスと一つ笑った。
「確かに、花の色もピンクだし、このぐるぐる巻いて咲いている辺りなんかは、バネの部分みたいだよね。本当、スプリングの花だねぇ」
「ソンナ……ヤダ、シェードにそんな風に言ってもらえて、ワタシすごく嬉しいデース」
 口に手を当て、嬉しさを隠しきれないとばかりにスプリングは落ち着きなく体を動かす。
 年頃の娘じゃあるまいし。目の前のバネを眺めながら、シェードは口の中でそう呟く。
「見たまま、私は言っただけです。それじゃあ失礼いたしますね。ウッドマンありがとうございました。また次もよろしくお願いします」
 紫苑の蝙蝠は、なんとかウッドマンの言葉を材料にして先ほどの台詞に理由を付けると、バットン達に指示を出してその場を後にした。眼下ではスプリングが未だに喜びに体をくねらせている。次第に小さくなる姿を、憎たらしさともう一つ、自分でも分からない何かを込めてシェードは見つめていたのである。


 自分の事が好きだと、スプリングは言っていた。試作機の頃に読んでもらった絵本に載っていた王子様のようで素敵だと、一番近い場所に、傍にいたいと、彼ははにかみながらそう言ってきたのだ。
 もし、それを言ってきたのが可愛らしい女の子だったら、きっとそれを素直に受け入れていただろう。それが男だったとしても、ロボットである自分に性別はさほど関係のない部類であるから、おそらく頷いていたに違いない。
 もし、彼が言葉を贈った相手が他の者だったら、自分はそれを微笑ましく眺めていただろう。彼は見た目こそ変わっているが、素直で明るく、頑張り屋で愛らしい一面を持っているから、やり方さえしっかりしていれば受け入れてもらえるはずなのだ。
 もし、彼があちこちに跳ね回る「バネ」でなければ。思考を重ねていたシェードは、そこで自嘲の混ざった溜め息を吐いた。
 シェードは跳ね回る物が苦手である。跳ねる物と言うのはその動きが全く読めない。こちらがいくら予想をしても、僅かな偶然で考えもしない方向へ、瞬きもしないうちに移動する。そしてそれは、普段の自分を露わにする前に、テリトリーの中へ遠慮知らずに現れるのだ。
 スプリングの告白に、シェードは明確な答えを出さなかった。いくら好意を寄せられているとは言え、苦手な者からなのだからはっきりと断っても良いのだ。それをしなかった理由は様々であるが、あえて言うならば彼が自分と同期だから、というものだった。顔を合わせる機会がどうしても多くなる相手と不和になっても、不利益しか生み出さないからだ。
 しかし答えを先送りにしていると言う事は、期待もさせているわけである。彼の顔を見るたびに、笑顔のスプリングを目にするたびに、自分の心境をわかってほしいと、自分の態度から返事をわかってほしいと、都合の良い事を考えてしまう。こちらを見つけて、ぱっと顔を明るくするスプリングと顔を合わせるだけで、シェードは痛みを感じていた。
 そんなに痛むのなら、いっそ彼の思いを受け入れてしまえばいいのではないか。時折誰かがそう囁くが、シェードはその提案を受け入れられなかった。太陽のようなあの子がいくらこちらに恋い焦がれても、闇に暮らす蝙蝠はその光に耐えられない。無理をしたところで行きつく先は破局なのだから。
 


 藍色の空に金色の月が昇る。大盤から零れた細かい星の光が眩しい、梅雨の時期には珍しく雲のない夜である。
 久しぶりに晴れたからと、シェードは部下のバットン達を見回りに出していた。風雨への耐性は一応あるとは言え、あまりに長時間だと不具合が生じてしまう。それゆえにここ最近は外に出さない、或いは出しても短時間と言う具合だった。
 久しぶりの外が嬉しいのか、バットン達は皆嬉々として飛び出していった。一時間で戻れと指示を出していたが、どうも外が楽しいらしい。時間きっかりの帰還、と言うわけにはいかなかった。
「ふうん、西側の水はけが大分悪くなっているみたいですね。南は一部の仕掛けが壊れ気味、と……ちょっと手を掛けないとこれなんだから」
 ぱらぱらと戻ってきたバットン達の報告をまとめながら、シェードは一つ息を吐く。さていつ頃修繕を頼むかと考えていた彼は、はたと顔を上げた。
「……北側の報告は? 誰が見に行ったんですか?」
 他のバットン達に尋ねてみても、彼らは一様に首を振るだけだった。
「戻っていないのは……M48-6、ですか」
 あの、スプリングに懐いていたバットンだ。ウッドマンの所にいた時も木に引っかかっていたと言う話だし、また同じようなどんくさい目に遭っているのだろうか。バットンは基本既製品で性能も性格もみな同じはずだが、長期間稼働していると個性ができるものらしい。
「仕方ない、私が迎えに行きますか。お前達は待機に戻りなさい」
 部屋を出ると同時にGPSを起動する。ID番号を登録して検索すれば、目標のバットンは簡単に見つかった。
「北側……林の近くですね」
 やはり枝に引っかかっていたのか。やや呆れ気味に頬を吊り上げ、シェードはそちらへと向かうが、その足取りは妙に重い。なぜだろう、バットン一体だけではなく、もう一人、いるような気がしてならないのだ。


 長雨に嬲られ、叩き起こされた土塊と草の匂いに顔を顰める。人の手が入らないと自然はここまで香を強くするのかと、シェードは妙に感心していた。
 まばらな木々の間を抜け、反応のあった場所へと向かう。物音と聞き覚えのある声が同時に聞こえ、シェードはそっと木陰に身を隠した。
「よ……よ、っ、うう……」
 呻くような声の後に、草の上に倒れる音が聞こえた。そおっと向こうを眺めると、見覚えのある桃色の装甲が月明かりに照らし出されていた。
 どうしてこんなところに。思わず出そうになった声を何とか押し止めて、蝙蝠はバットンと共にいる、スプリングマンを見遣る。混乱で思考が乱れる中、そう言えば作戦でこの近くに来ていたんだっけと、シェードはようやく彼がここにいる理由を思い出したのだ。
 スプリングは見学者に気づく事なく、ただ喘ぐままに歩いている。そう、歩いているのだ。どんな時でも、どんな場所でも跳ねて移動している彼が、である。
 しかし……なんと頼りなく、辛そうな足取りであろう。生まれたての小鹿、となどと言う言い回しがあるが、今のスプリングの歩き方はそれ以上に痛々しいのだ。
 一歩を踏み出すたびに、バネで出来た体が風に吹かれた小枝のように揺れる。足の裏を地面から離す事すら億劫そうで、ここが濡れた地面でなければ重い足音が聞こえそうな程だ。本人も辛いのかその息も絶え絶えで、いつもくりくりと動いている瞳も、今は疲労に沈んでいた。
「……ひ、わ、あっ!!」
 力を入れ過ぎたのだろう。ぐにゃり、と脚部のバネがおかしな形に曲がり、バランスを崩したスプリングはばたりと倒れた。ちい、と甲高い声を出して、心配そうに見ていたバットンが彼に近づく。
「……り、が……ジョブ……ス、ダイ……」
 距離があるせいだろう、声が途切れ途切れになってしまっている。レシーバーの感度を上げ、シェードは身を隠している木の皮をぐっと掴んだ。
「ワタシの所じゃ、バネがイッパイで歩く訓練、できないデスカラネ……デモ、チョット歩きすぎマシタ」
 独り言ちて、スプリングは大きく息を吐く。その顔には疲労以外の別の物が浮かんでいた。
「歩くのって、タイヘンデスネ。走るのは、コレの倍疲れるって聞きましたケド、スラッシュは凄いデスネ。デモ、頑張って練習していれば、ワタシもスラッシュみたいに走れて、それで普通に……」
 仰向けに寝転がったまま、スプリングは頬を擦るバットンを撫でている。その顔は最初こそ意気揚々と輝いていたが、次第に表情は曇り始めたのだ。声から生気が失われると同時に、小さな機械蝙蝠を眺める瞳の緑は明度を失い漆黒へと変わっていた。
「……ワカッテイルンデス。歩く練習したってダメだってコトくらい……。そんなコトしたって、シェードの隣にはいられないッテ……」
 ワタシのカラダは、ケッキョク飛び跳ねるように出来ているカラ。ゆっくりと起き上がったスプリングは、自身に言い聞かせる調子で呟き、縋る様にバットンを抱きしめた。
「……ダカラ、ホントーは、ワタシが願いを捨てれば、丸―く収まるってワカッテイルンデス。……ワカッテイルンデス」
 スプリングは苦しそうに言葉の塊を吐き、忙しく丸い目を瞬かせた。まるで何かを払うかのように。
「ワカッテ……いるケド、デモ、ダメナンデス。ワタシだって、シェードのメーワクになりたくないデス。……デモ、デモ」
 月と同じように丸い目が水面のように揺れる。一時の沈黙の後、瞳にとどまっていた物は、何かの代わりのように滴となってぽとりと落ちたのだ。
「デモ、ダメナンデス。シェードが名前を呼んでくれるたびに、シェードの姿を見るたびに、シェードが好きだって気持ちが、止められないくらい生まれてくるンデス」
 好きだからこそ、スプリングはシェードの視線の意味を痛いほど理解していた。自分の気持ちが好きな人を苦しめているならと、思慕の念を捨てようと何度も試みていたのだ。
 しかし、感情は心の糸をすっかりと染め上げてしまっていた。どんなに洗っても、力任せにこすっても、芯まで染み込んだ色は決して消えてくれない。それどころか、真っ白にしたはずの所に滲みだしてくるのだ。
 そこまで影響を与えているものは消去できない。博士に言われた事をスプリングは思い出す。シェードへの敬慕の心は、今やコアの一部と化していて、無理に消してしまったら人格も何もかもが崩壊してしまうと、そう伝えられたのだ。
「デモ、博士は天才ダカラ、キットなんとかして……ワタシの心をなんとかしてくれるハズデース。そうしてくれるマデ、ワタシ、せめてシェードの前では跳ねないように、イッパイ練習シマス。ソシタラ、シェードは苦しくないハズデース」
 ふっと甘い望みが顔を覗かせたが、スプリングはすぐに首を横に振った。そんな願いは抱いてはいけない。だって今ですら図々しい事をしているのだから。
 鮮やかだった月が翳った事に気づき、スプリングは顔を上げた。空を見れば、あれだけあった星明りがなくなっている。また雨が降るとそういえばクラウドが言っていたなと、スプリングは思い出した。
「……ゴメンナサイ。アナタのお仕事、邪魔しちゃって」
 申し訳なさそうに目を伏せると、バットンは否定するように全身を横に振る。そして大丈夫だと言うように、頬に顔を摺り寄せた。
「アリガトウ、ゴメンネ。ワタシも、ソロソロ戻りマスネ」
 アリガトウ。もう一度そう言ってバットンの頭を撫で、スプリングは自分の居場所へと戻っていく。最初は不格好に歩いていたが、途中からは天気を心配してか、彼らしく飛び跳ねて行ってしまった。
「M48-6」
 その背中を見送っていたバットンにシェードは声をかけた。丸い蝙蝠は主に気づき、小さい悲鳴を上げて竦み上がる。
「もうすぐ雨になります、さっさと戻りますよ」
 ぺこぺこと全身でお辞儀をする彼を小脇に抱え、シェードは大きく翼を広げる。彼を伴って飛ぶよりも、こっちの方がずっと早いのだ。
 漆黒の空を音もなくシェードは飛ぶ。まっすぐに先を見つめているはずのその目は、思考の海に沈んでいるのかどこか暗かった。
(デモ、ダメナンデス。シェードが名前を呼んでくれるたびに、シェードの姿を見るたびに、シェードが好きだって気持ちが、止められないくらい生まれてくるンデス)
 スプリングの呟きと共に、先ほどの光景が頭に浮かぶ。羽を動かすたびに、胸に妙な痛みが走っていた。
 出来過ぎた光景だと言いたかった。誰にも見られないようにしたかったなどの理由がいくつか思い浮かぶとは言え、歩行訓練でこんな所にまで来るなんておかしいのだ。
 もしかしたら自分に見せつける為にと思ったが、シェードはすぐに首を横に振った。どこまで行っても素直な彼がそんなずるい事が出来るとは思えない。よしんばそんな事をしていたとしても、声や表情など、どこかでボロが出ているだろう。あの子は、スプリングは、そういった嘘は付けない子だから。
 言い切ってシェードは大きく目を見開く。どうしてそんな風に思えるのか、自分の思考に驚きを隠せなかった。普段の自分なら疑惑の方が強く出るし、更に言うならもっと手厳しい言葉が浮かぶはずなのだ。だのに、どうしてこんな優しい表現が出てくるのだろうか。
 バットンを抱える腕に、少しずつ力が籠る。心の中に芽吹いた一つの可能性が怖くて仕方なかった。それを認めたら自分の前提が崩れてしまいそうだったからだ。
 太陽と蝙蝠は相容れない。だが、本当にそうなのだろうか。スプリングが変わる事は、残念ながら不可能だ。しかし自分の方は変化出来るのではないだろうか。
 出来るはずがない、と首を振りかけてシェードは思いとどまった。だって、スプリングは、太陽は、自分そのものを変えようとしていたのだから。
 ちい、と小さな声が聞こえる。力を入れ過ぎたのか、腕の中のバットンは痛そうに体を強請っていた。
「申し訳ありませんね。……大丈夫です、怒ってこんな事をしたわけじゃないですよ、M48-6」
 一言謝罪を述べ、シェードは丸い小さな体を撫ぜた。彼が安心したのを確認してから、機械仕掛けの蝙蝠は決心したように大きく翼を羽ばたかせる。
 明かりのなくなった世界に銀色の雨糸が降り注いだのは、彼が去って後だった。
 


 白く色濃い日差しが眩しい。木々の葉の色はますます緑濃くなり、本格的な夏の到来を知らせている。バットン達を引き連れて、シェードは久しぶりにウッドマンの森を訪れていた。
「いらっしゃいシェードマン。この前放した子達は皆元気だよ」
「いつもありがとうございます、ウッドマン。また今日もよろしくお願いしますね」
 翼の内側から丸い蝙蝠達を離す。バットン達は外の空気を存分に吸うと、森の主の元へと駆け寄っていった。……ある一匹を除いて。
「……スプリングが来ているんですか?」
 挨拶もそこそこに、森の奥へと飛んでいった一匹……M48-6を見つめてシェードはウッドに尋ねた。
「うん。鳥の巣箱の設置を手伝ってもらっているんだ。ほら、森の中は木の枝でどうしても狭くなるでしょ? ジャイロやクラウドにはちょっと仕事が難しいから、体が伸ばせるスプリングにどうしても頼んじゃうんだよね……」
 申し訳なさそうな表情をするウッドを見つめ、シェードは強く息を吐いく。まるで、何かを決心するかのように。
「お忙しそうですから、私がバットン達を集めてきますよ、ウッドマン」
 返事を聞くよりも先に、蝙蝠は歩き出す。目標の位置を探るのは簡単だ、あの子に懐いているバットンを追いかければ良いのだから。輸液が巡る痛みを覚えながらも、シェードがその歩みを止める事はなかった。
 青く爽やかな匂いが鼻を擽る。ロビットが跳ねまわり、鳥の囀りが微かに聞こえるこの森の中は機械と生物が穏やかに共存しているらしく、長閑さにふと笑みが零れた。
 巣箱が括りつけられている木の数が増えていく。耳を澄ますと、少し騒がしい声が聞こえた。……あの子が近くにいるのだ。
「……デースカ。アナタが怒られないでヨカッタデース」
 緑の世界に桃色の影が揺れる。大きな樫の木の下で、スプリングは懐いたバットンを優しく撫でていた。
「スプリング」
 意を決して彼に声をかける。出てきた音に震えはなく、それだけでシェードは安堵した。
 突然の呼びかけに驚いたのだろう、スプリングはきょろきょろと辺りを見回す。こちらを見つけた瞬間、その頬はみるみるうちに紅潮した。
「シェード、どうし、たンデス?」
 近づこうとする足に力が入ったのが見て取れる。一歩を踏み出して、スプリングはしかし、少しだけ動きを止めてゆっくりと歩き出した。
「スプリング」
 つんのめりながら歩を進める彼の名を、シェードはもう一度呼ぶ。今度は力みなど無く、ただひたすらに優しさを込めていた。
「いつもの貴方でいていいから、跳ねていいから、だから、こちらへ来てください」
 おいで。そう付け加えた自分の顔はどんな風になっているのだろう。手を差し出しながら、シェードは考える。笑えてはいないかもしれない。でも、いつもよりずっと柔らかくなっていると、そう信じたかった。
 いつもと違う反応に、スプリングは戸惑っているらしい。歩みは鈍く、まだ普段の彼には戻っていない。二歩、三歩と進めていたその時、細い体のバランスが大きく崩れた。
「あ、あ、っ!!」
 姿勢を立て直そうとしたのが逆に働いたのだろう、バネの体はそのひとっ跳びで蝙蝠の懐にまで届くほどに大きく跳ね上がった。自分よりも僅かに大きい物が跳ねてくる。普段ならば悲鳴を上げて逃げ出していただろう。だが、シェードは後退る事なく、下りてきた彼を受け止めた。
「……っと、と」
 なんとか受け止めたはいいものの、その姿勢はひどく危ない物だった。後ろに大きく仰け反ったまま蝙蝠はよろめいていたが、さほどもしないうちにスプリングを抱えたまま地面へと倒れ込んだのである。
「……っ、く……」
 咄嗟に頭だけは庇ったものの、スプリングの体重も加わった状態での転倒は流石にきつい物がある。腰や背中に広がる鈍い痛みにシェードは顔を歪めるが、それでも腕の力を緩める事はしなかった。
「……うう、っ、シェー、ド……? 」
 もぞもぞと腕の中でスプリングが身じろぎをする。開いた丸い目は混乱でせわしなく動いていたが、自身の状態を、愛しい蝙蝠を下敷きにしているのを認識した瞬間、緑の瞳は焦燥と不安の色に染まった。
「ゴメンナサイ、シェード、ゴメンナサイっ」
 紅潮していた頬が刹那にして青く染まる。スプリングは何度も謝りながら離れようとしたが、絡みついた腕のせいで逃げる事が出来なかった。捩れば捩るほど、もがくけばもがくほど束縛は強くなる。気が付けば息がかかりそうな程にお互いの顔が近くなっていた。
「シェード……やだ、ワタシ、ワタシ、間違えて……」
 泣き出しそうなスプリングの頬を、シェードは気持ちを込めてやわやわと撫ぜる。長い間抱えていた怖さは微塵も、と言うわけにはいかないがそれでもほとんど感じられないのだ。
 日に当たっているからだろうか、細いバネの体は心地よい温かさを放っている。ボディーカラーも相まって、太陽を抱いているような心地だった。
 なんだ、大丈夫だったじゃないか。照り返しで眩む瞳を瞬きで整えて、シェードは口の中で呟く。跳ねる物、自分の中に無遠慮に飛び込んでくる物などと言う恐れを取り除いた向こう側にいたのは、悍ましい何かではなく、以前にこの場所で見た、あの可憐な花のような人だった。
「……イイノ? シェード、本当に、ワタシ……」
 か細い声で恐る恐る尋ねる腕の中の人に、蝙蝠は静かに頷いた。途端に、翡翠の瞳から弾ける様に丸い涙が零れ落ちたのだ。
 綺麗な滴を零しながら、スプリングは頬を染めて嬉しそうに笑う。切なさも喜悦も、何もかもが詰め込まれた表情を目の当たりにしてシェードは息を呑んだ。彼の浮かべている物があまりにも幸福でありすぎて、見ているこちらの胸が締め付けられるほどだった。堪らず、シェードはスプリングの細い体を今まで以上に抱きしめる。それに応えるように、彼も遠慮がちながらこちらにしがみついてくれたのだ。
 打ち震えている背中を撫ぜていると、頬に何かが触れたような気がした。少しだけ視線をずらして正体を探ると、二本のネジバナがそこに植わっていた。
 風に仲良くそよぐ花を眺め、スプリングのようだとシェードは微笑む。見つめるその目は最初の時とは異なり、ただひたすらに愛しさが込められていた。
 二人の周りを飛んでいたバットンは、チイ、と嬉しそうに鳴いて傍らの石の上へと腰を下ろす。主人と彼の恋人を見つめるその顔は、幸せそうに笑っていたのである。

終わり
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【2017/08/18 22:23 】 | SS | 有り難いご意見(0)
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