二人用の狭いテーブルに生ハムとチーズの盛り合わせ、冷やしトマトなどと言った、いわゆる酒の肴が並べられている。どこの店でも見られる、ありふれたメニューであるが、その質はどこにでもあると言うものではないようである。薄切りのトマトを摘まんですぐ、ネプチューンは自分の予想が正しかったと一つ頷いた。
「どうだ、言った通りの良い店だろ?」
差し向かいのパイレーツが得意げに笑う。彼は料理よりも酒の方が好みらしく、すでにジョッキを空けていた。
「そうですね。特に野菜がいいですね、新鮮で味も濃くて……」
「海産物はちょっと落ちるとこはあるがな。でも、お前にはこっちの方がいいだろ」
叩かれた軽口に、ネプチューンは苦笑いを浮かべて背びれをピクリと動かした。
「あのね、そういう風に魚扱いするから、ワタシ自身もなんか申し訳なくなってダメになるんですよ。ほんと、昔はそうじゃなかったんですからね。皆がそういう目で見るから……」
ぶつくさ文句を言ってみるが、この海賊には届いていないようである。これ以上言ってもしょうがないと、半魚人はウーロンハイを口にした。
周りの席は人間やロボットによって次々に埋められていく。さすが繁華街にある飲み屋であるが、それにしてもこんな場所を良く知っていたな、とネプチューンはパイレーツに感心していた。海の近くならともかく、そこから離れた店も知っているとは思いもしなかったのである。
「……ところで、そろそろお話ししてくれてもいいんじゃないですか」
人の声に溢れ、小さい声では会話も出来なくなりそうなほど騒がしくなってから、ネプチューンはそっと目の前の男に尋ねた。すでにパイレーツは三つ目のジョッキに口を付けている。水中用の知り合いの中では酒に強いロボットであるが、機会を逃してしまっては大変である。
「んー、ああ、……」
海賊は彼にしては珍しい、気まずそうな顔を浮かべた。
「そもそも、アナタが話したい事があるって、ワタシをここに連れてきたんでしょう。海の中や、海の近くの店だと知り合いに聞かれそうだって、それで……」
「わかってるよ、わかってる、わかってるって……」
あしらうように手を振って、パイレーツは黙り込んでしまう。追撃をするべきか、迷ってネプチューンはあえて黙る事にした。この男に無理強いは禁物である。やりすぎて逆切れされるのも困るが、暴れられたら一大事なのだ。
喧騒の中、男二人で向かい合って押し黙る。これほど奇妙でおかしな事があるだろうか。果たして他の客にはどんな風に見えているのか、ネプチューンが気になり始めていた。
「……お前は、どうやってあの丸いのオトしたんだ」
「丸いの?」
「ほら、あの、丸い、ペンギンみたいな……」
「……ウェーブの事ですか、もしかして?」
顎を突き出して尋ねると、海賊は思い切り首を縦に振った。やや上機嫌な目の前の男に対して、ネプチューンはふてくされていた。彼の発言と、それで誰を対象としていたかわかってしまった自分に、である。
「そんな怒るなよ。正直すげえと思ってるんだぞ、あいつとナカヨシ出来るなんて。短気で人見知りで、おまけにピーピー泣きやすいなんて、扱いづらい奴をよう」
無遠慮に言葉を重ねるパイレーツを、ネプチューンは最初こそ苦々しく眺めていた。確かにウェーブは怒りっぽく、人当たりが悪いロボットである。しかし、それは彼が繊細で様々に考えてしまうからで、気心が知れれば……。
そこまで思考を進めてネプチューンはにやりと笑った。そうだ、ウェーブの本当の姿は自分しか知らないのだ。真実を知らないパイレーツが彼の事をひどく言うのは仕方ないのだ。
「何ニヤニヤしてんだ、気持ち悪いな」
ホッケを箸で突きながら、パイレーツは少しだけ体を後ろに引く。ネプチューンは謝る代わりに緩んだ頬をピシャリと打って、引き締める為に冷たい飲み物を口に含んだ。
「……んで、どんなやり方で、その、……アレになったんだよ」
パイレーツの声は後ろに行くほど小さくなっていく。それと共に、彼が弄っていたホッケの身も細かくなっていった。
「そんなの……決まっているでしょ。好きだって言ったんです。何度も、何度も、ね」
今でも鮮明に思い出せる。彼と共に初めて海を泳いだ日を。生まれた星ではとっくに死に絶えた、多種多様な生命を眺めていたはずなのに、いつの間にかそれらに笑いかけていたウェーブに目を奪われていた。
あの笑みを自分にも向けてほしい、そう思うようになるのに時間はかからなかった。惚れたなら惚れたと言えと、マスターに教えてもらった事を実行して、何度となく玉砕したものだ。想いを重ねる中、これが愛なのか迷う事もあった。その迷路の果て、とうとう自分の願いが叶った、あの時の幸福ときたら……今思い出しても胸が歓喜で一杯になるほどなのだ。
「幸せそうな顔しやがって……ちっ、やっぱ言わなきゃならんのか」
忌々しいとばかりに舌打ちをして、手元のホッケに箸を突き立てる。もう身は微塵になっているが、パイレーツは気にする様子もなかった。
「そりゃあそうですよ。何もしないで相手に意が伝わるなんて技術は、残念ですが開発されていませんからね。ロボットも人も、思いは自らが発しなければいけないんです」
無精なんてできませんよ。付け加えて、ネプチューンは豚の角煮を口に入れる。ほろりと蕩ける脂に臭みはなく、うま味だけが一杯に広がっていく。納得の頷きをして、半魚人は未だにうんうん唸っている海賊に目を向けた。
「……んで?」
声を掛けられ、パイレーツはびくりと反応する。深碧の瞳がきょときょととせわしなく動いているのだが、それは酔いのせいではないようだ。
「……と?」
「いや、それはワタシが聞きたいんですってば。アナタ、ワタシのノロケを聞きたいわけじゃないんでしょ?」
「そりゃあ、そうだが……」
男は先ほどの状態に戻ってしまったが、それは僅かな間だけだった。ようやく観念したか、長い溜息を吐くとぼそりと呟いた。
「惚れた奴がいるんだ」
惚れた、と声には出さないでネプチューンは呟く。本来なら大層驚くべきなのだろうが、珍しく神妙な顔を海賊が浮かべているせいだろう、半魚人は粛々と彼の言葉を受け入れていた。
「……どんな人です?」
「……やっぱ見込んだだけあるわ。他の奴だったらこうはいかねえ……まあその、身内なんだがな……」
海賊はそこで話を打ち切ると、頭を掻きむしり、貧乏ゆすりを繰り返す。そこまではまだ打ち明ける決心がつかないのか、ああだのううだのを呻くだけである。気の長いネプチューンはその態度に怒らず、とりあえずもういちど目の前の料理に手を伸ばす事にした。摘まんだスティック状の胡瓜は、時間が経っているというのに瑞々しかった。
「……身内で、な、身内で……まああれだ、一応男性型だが、スタイルはいいんだ」
「ほう、スタイルがいいんですね、他には?」
「顔もいい。マスク外した時の顔がな……特にイッた時の顔がいい」
はいはい、と聞き流していたネプチューンは思わず噴き出した。
「あー、……すいません。もうシたんですか?」
恐る恐る尋ねると、パイレーツは臆面もなく頷く。先ほどの生娘みたいなおどおどとした姿はどこへやら、堂々と胸を張っている物だからネプチューンはすっかりあきれ果ててしまった。
心の繋がりが薄い、体だけの関係と言う物のをネプチューンも知識の上では知っている。マスターの影響や自分達の身体機能からか、そういった関係についてはあまり良く思っていないが、それはあくまでネプチューン個人の意見である。当人たちがそれに納得しているのならば、口を挟む余地などない事を、半魚人はしっかりと心得ていた。
「最初はそんなのめり込むつもりはなかったんだよ。具合がいいから何回かヤッてさ、向こうもきっとそのつもりだとは思うんだが……」
僅かに伏せた瞼の奥で、瞳が鈍く光る。ほんの少し混ざった朱色が、彼が恋煩いにかかっていると伝えてきた。
「ソイツは終わった後、やたらと俺にしがみついてくるんだが、その時に見た顔がどうしても頭にこびりついて離れねぇんだよ」
最初は、ただ続きを強請る為か、余韻をしゃぶり尽くす為のものだとパイレーツは思っていた。一度や二度なら可愛い行動だと思うが、何度となく繰り返されると煩わしくなるわけで、ある時、パイレーツは自身の体に纏わりつく細い腕を振り払おうと試みた。
邪魔だと、そう言おうとした矢先に飛び込んできた腕の中にいた人物の顔は、あまりにも哀切極まりない物だった。子供が大切な物を探し回っているような、何とも頼りなげで寂しい表情なのだ。
見られていると気づき、彼はすぐに腕を解いて普段の仮面を被ったが、パイレーツの人工網膜には先ほどの顔がすっかり焼き付いてしまっていたのである。
「一つ気になると、普段も気になって仕方ねぇ。そうこうしている間に、俺だけの物にしたくてたまらなくなった」
力尽きたように息を吐くと、パイレーツは少しだけ残っていたビールを飲み下す。店員にもう一杯を要求する声は、あまりにも弱々しい物だった。
「そういう物ですよ、恋なんてね」
しみじみと呟いて、ネプチューンはチーズを噛み砕く。自分の恋だって、始まりはウェーブが浮かべていた笑顔だったのだから。
「恥ずかしい事を言うんじゃねえよ。そんな痒くなるもんじゃなくて、俺はな、ただあんな顔を俺以外の奴に向けさせたくねぇだけなんだよ。……そうだ、きっと、そうなんだよ」
素直な男じゃないですね。口の中でネプチューンは呟いた。
「……でしたら、なおの事、好きだって言うべきだと思いますよ。そんなに欲しいと思うんでしたら、ねぇ」
「バッカ言うな! 俺が惚れたなんて言ってみろ、向こう一年はそれでからかわれる、普段のアイツはそういう奴なんだよ」
大きい声に、周囲の視線が一気にパイレーツに集まる。普通の人間やロボットならそれに慌てるところだが、流石は海賊と言うのだろうか、彼は鋭い視線を辺りにまき散らして人々をはねのけたのである。
「俺から言うのはイヤだから、アイツに言わせる方法はねぇかと思ってだな」
「そんなん無理ですってば。そんな方法があったら、世の善男善女がどれほど救われると思ってんですか」
投げつけられた正論に、噛みつかんばかりのパイレーツは己の立場を理解したらしい。大きな音を立ててテーブルに肘を着くと、すっかり頭を抱え込んでしまった。
プライドが高いと言うのもなかなか辛い物だと、目の前の男を見ながらネプチューンは考える。自分から見れば、からかわれる代償にもっともほしい物が手に入るかもしれないなんて、これほど素晴らしい話はないのだが。
「……そういうのはアナタらしい言葉で言ったらどうですか? そっちの方がすっきりしていいと思いますよ。その、アナタが惚れたって人も、きっとそれを望んでいるんじゃないですかね」
七転八倒している海賊にそっと話しかける。のぞりと起き上がった彼の眼は、期待と怒気が入り混じり物凄い光を放っていた。普通のロボットや人間ならその瞳を恐れてすぐに謝る所であるが、ネプチューンは全く怯まなかった。爛々と光るその緑の中に、見ているこちらが辛くなるほどの憂苦が隠れていたからである。
「アナタのお話を聞く限り、お相手の方は一筋縄でいく人物ではないみたいですけど、でも、何度も貴方にしがみついてきたんでしょう? からかう為に顔は作れるかもしれませんけれど、でもしがみつくなんてできませんよ」
致して理性を失くした後なら尚更だ、言い放った半魚人を海賊はじいっと見つめていた。視線に息が詰まりそうになるが、ここで逸らしてしまったら溺れる彼を深い海に沈めてしまうような気がして、ネプチューンは押し黙ったままパイレーツを眺めていた。
無言の勝負は、ネプチューンに軍配が上がった。このような勝負で珍しく視線を外したパイレーツは、体を起こすと憑き物を落とすかのように肩を一つぐるりと回す。
「……最悪のタイミングで言うよりはマシ、か」
女々しいとこ見せたな。声色からやっと謝罪と察する事が出来る言葉を吐いて、パイレーツは温くなったビールを喉に落とし込んだのである。
時化の後の海はツンと冷たく、潮の香りが一際濃くなっている。洗われた浜にはゴミや海藻、貝などが打ち上げられ、単調な世界に綺麗とは言えないが色を付けていた。
昨日までとは打って変わって穏やかな波の音に耳を傾けがら、ネプチューンはウェーブと共に砂浜を歩いていた。流れ着いた貝殻を摘まみ、つるつるとした枯れ木に目を細める。誰もいないからだろう、人嫌いなウェーブが見せる笑顔に目を細めながら、ネプチューンは朝の浜を存分に楽しんでいた。
足元にある貝を拾おうとしたウェーブの顔が急に曇った。どうしたのかと尋ねる前に、彼はむずがるように身を捩ると半魚人の陰に隠れた。どうやら誰かが、しかも見知りが近くにいるらしい。
隠れていなさいと優しく言うと、ウェーブはそそくさと岩陰に身を潜める。辺りを見回し、耳を澄ませると遠くから聞き覚えのあるガサツな声が飛び込んできた。
「だから、悪かったって言ってるだろうが」
「悪いと思っていないでしょ、全く、これで四日連続朝帰りです。キングに怒られますよ」
「お前だって十分楽しんだじゃねえか。最後にゃ、勝手にワイン棚から……」
道路の方に目を向けると、パイレーツマンが具合悪そうに歩いていた。彼の隣には自分の知らない誰かがいる。シルクハットを被り、赤いマスクをつけたロボットだ。すらりとした体はため息が出る程見目麗しい。
(……まああれだ、一応男性型だが、スタイルはいいんだ。……顔もいい。マスク外した時の顔がな……)
遠い波の音と共に、居酒屋の席で聞かされた言葉が頭に木霊する。ああ、今、隣にいるロボット、あれがそうなのか。
浜辺のネプチューンに気づいていないのか、二人は言い争いをしながら道の向こうへと歩いて行く。その様子を、半魚人は黙って窺う。……人の恋路にどうこう出来るわけではないが、話を聞かされた身の上としては、やはりに気になるのだ。
「……もう、本当にバカなんだから」
呆れたように言うと、シルクハットを被ったロボットはパイレーツの腕に手を絡める。ほんの少しだけ拝めた瞳は柔らかく、愛しい物を見る光に溢れていた。
背中しか見えない海賊もまんざらではないらしく、その細腕を振り払う素振りもない。二人はこちらに気づかず通り過ぎて行ってしまった。
張りつめた物が溶けたネプチューンは長い息を吐く。他人の付き合いだと言うのに、なぜだろう自分の事の様に感じられた。
「……もう行ったか?」
心細げに言いながらウェーブは岩陰から顔を出す。その仕草は小動物の様に愛らしく、もう大丈夫と言うと共に、ネプチューンは笑ったのである。
終わり
「……ところで、ワタシ以外の方に相談は出来ないんですか?」
「身内には話したくねぇ、って言うか通じる相手がいねえ。バブルは、話したらDWNどころかDRNやらあらゆるところに話が漏れそうだ。ウェーブは俺を見ると逃げるし、アクアは真面目に聞かねえし、河童はどこにいるかわからん。人魚ちゃんは二人だけだとバブルと潜水艦がもれなくやってくるし、ポンプと蛙は潜水艦がやって来る。潜水艦本人? あいつに相談するくらいなら自爆する」
「ナルホド」
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