街の目抜き通りに植えられた菩提樹は、その幹の大きさと、ぐるりと囲むように作られたベンチのおかげで、待ち合わせ場所によく使われていた。枝ぶりも良く、また風の通り道でもある為休憩場所にも最適で、それだけの為にそこを利用する人もいる。そしてそんな人間を目当てに、軽食の屋台を出す商売人もいるので、ともすれば祭りの会場の様な賑わいであった。そんな憩いの場所を利用するのは、何も人間だけと言うわけではない。ロボットももちろん、その仲間である。
初夏のある午後。普通なら爽やかな風と、夏の香りが少し混ざった日差しが心地よい頃だが、この日はフェーン現象によるものなのか、何もかもを投げ出したくなるほどに暑かった。日光は夏の黄色に染まり、空気も風も炎のような熱を含んで澱んでいるのである。
そんな日に外に出ていてはたまらないと、人間達は足早に道を通り過ぎ、商人も商売にならないと、一時も経たないうちに簡易な店を片付けて退散する。いつもならば満員御礼とばかりに人に溢れた菩提樹も、今日はすっかり寂れていた。いるのはロボットと、待ち人がすぐに来る確信を持っている者だけである。
普段よりも寂しいその場所で、シェードはのんびりと仲間を待っていた。普段ならば自身の持つ羽根のせいで、設置されているベンチに座るなぞ出来ないが、今日は気兼ねをする事なく腰を下ろす事が出来たのである。誠にささやかではあるがシェードは嬉しかったらしい。表情には出ていないが、証拠とばかりに、尖がった尻尾がひょこひょこと動いていた。
「すみません、ちょっと隣、失礼しますね」
突然に声を掛けられ、尻尾はぴったりと静止する。見られてなかったか、とシェードは顔に朱を走らせたがすぐに引っ込めた。そういった事は得意である。
どうぞ、と一声かけようと顔を上げ、座ろうとしているロボットの恰好――青いシルクハット、赤いドミノマスク――を見た刹那、蝙蝠は思い切り顔を顰めた。
「あー……」
不機嫌を剥き出しにしたシェードに対し、立っているロボットは気を悪くしていなかった。ただ、あら、と一言言っただけだった。
「お久しぶりですね、シェードマン」
「……お久しぶりです、マジックマン」
マジックマン、と呼ばれたロボットはシェードの隣に腰を下ろした。紫の蝙蝠がそっと体を動かしたのは、場所を作ろうと言う親切心だけではなかった。
「ほんと、久しぶりですねぇ。いつくらいでしたっけ?」
「……貴方がキングの下について、うちの基地を攻撃して以来ですよ」
そっと寄り添おうとするマジックに、シェードはしっしと手を振る。つれない人、とマジシャンは面白そうに笑って足を組んだ。
「それは抜いて……私が所属しているサーカス団が、貴方が居た遊園地のイベントで呼ばれた時以来、でしたっけ。あの時は貴方、お化け屋敷で働いていましたねぇ」
「ええ。……まさかこんなロボットが来るとは思いもしませんでしたよ」
「こんな……ああ、こんな素敵で魅惑的なロボットがですか? 嬉しいですね」
「馬鹿言わないで下さいよ、アンタのせいで純粋な私の心がどれほど痛めつけられ事か」
「ああなるほど、痛めつけられた結果、あのバネみたいなロボットとくっついたんですか」
なるほどねー、と気の抜けた納得の言葉を上げるマジックに対し、シェードは顔を真っ赤に染めてワナワナと肩を震わせた。
「な、なんでアンタがそんな事、知ってるんですかっ」
「私の仲間のパイレーツから。パイレーツはバブルマンから聞いたそうです」
マジックはしれっと答える。その言い切りっぷりのおかげだろうか、ずっと動揺していたシェードは、やっと落ち着きを取り戻したのである。
「随分と遠回りに話を聞いたもので……」
「最初はびっくりしたんですよ。バネの……スプリングマンでしたっけ、レースに出ていてちょっと名も知られていますしね、あの子。そんな人が、まあ、昔の、知り合いと付き合っているなんて思いもしませんでしたから」
やや言葉を濁したのは、気遣いなのだろうか。そう素直に思えないのは、目の前のロボットを知っているからだろう。こいつときたら、腹の底では何を考えているか、分かったもんじゃないのだ。
「貴方も好みが変わったんですねぇ。昔はもっと、こう、美人なのが好みじゃなかったですけ? 例えるなら、私みたいな!」
自信たっぷりに言い切ったマジックを、シェードはただただ苦虫を噛み潰した顔で見つめる。じわじわと昔の事が思い出され、羞恥や憤懣でロボットの自分にはないはずの胃がキリキリと痛んだ。
「……まあ、スプリングは確かに美人ではないですけど、愛らしいし、一途でいじらしい子ですからね。貴方と違って」
言いかけた言葉を飲み込んで、シェードは強く言い捨てた。
「貴方はどうなんです? 相も変わらずな調子で?」
「いいえ、最近は一人だけです」
一人、とシェードは驚嘆の声を上げた。マジックの過去を知る者なら、この発言に驚かないはずがないのだ。
「一人って……貴方、よくそれでもちますねぇ」
「粗野でガサツで乱暴な人ですけど、体力はありますからね。貴方と違って」
「最後の一言は余計です。悪かったですね、体力なくって」
言い終えてから、ふと形容された言葉が気になった。粗野でガサツで乱暴、と言う事は手荒な扱いを受けているのだろうか。思わずマジックを見ると彼は鼻で笑ったのである。
「心配しなくても大丈夫ですよ。粗野でガサツで乱暴でロクデナシですけど、貴方の恋人と同じで一途でかわいい所があるんです。素直じゃない人ですからね、どうしても前半言ったみたいな態度になっちゃうんですよ」
呆気に取られるシェードを見つめる、マジックの目がにやりと歪んだ。
「って、もしかして私の事、心配してくれたんですか? いやあ、嬉しいですねー」
「……っ心配して損したっ」
そっぽを向いた視線の先に、車のマフラーと、見覚えのある桃色が見えた。
「お相手、来たみたいですね」
ニヤニヤ笑うマジックにシェードは返事をしないで立ち上がった。
「それじゃまた、会いましょうね、シェード」
「……十年後くらいに」
振り返らずに行ってしまった彼の背に、マジックは手を振った。ようやく来た仲間と二、三言葉を交わして、シェードは道の向こうへと行ってしまった。
「……全く、幸せそうな事で」
これまでとは全く違う笑みを浮かべ、マジックは暖かいため息を吐く。
「なんだ、もっと遅く来た方が良かったか?」
聞き覚えのある声が聞こえ、マジックはそちらを向く。粗野でガサツで乱暴でロクデナシの、愛しい人が似合わない買い物袋をぶら下げて立っていた。
「いいえ、向こうもちょうど待ち人が来たみたいですから。良いタイミングでしたよ、パイレーツ」
彼がぶら下げている袋の一つを受け取りながらマジックは答える。途端、髑髏の紋章が付いた二角帽子を被ったロボットは不機嫌に口を曲げた。
「いいタイミング、か。……ところで、さっきの蝙蝠はなんだ? ひっかけているって感じじゃなかったな」
「ひっかけているとか、そんなんじゃないですよ、ただの、昔の知り合いです」
子供の様な態度をする男の頬を擦り、マジックは穏やかな笑みを浮かべたのである。
終わり
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