スプラッシュは会うたびに必ず何かを持ってくる。それは美味しいお菓子だったり、小さいけれど綺麗な音色を響かせるオルゴールだったりと、その時々で違う物だ。でも、どの品物も記憶に優しく残る、「良い物」ばかりだった。
何か月ぶりかに顔を合わせたその日も、彼女は何かを持ってきていた。やっと会えたからと、バブルに身近で起きた事や同僚の話を、やや興奮気味に口にしてから、スプラッシュは携えていた物を膝の上に乗せた。
それは彼女が持ってくる物にしては、ひどく無機質な物だった。透明なプラスチック、らしき材質で出来た箱だった。ただし、中には小さなオルゴールやその他にも色々な何か、が詰まっていた。
「これは?」
奇妙な顔をしているだろうバブルに、彼女はにんわりと柔らかい笑顔を作って答えた。
「タイプカプセルよ」
タイムカプセル。鸚鵡返しに呟くと、彼女はもう一度微笑む。物自体はバブルも知っている。耐久性がある容器に様々な物を入れて地中に埋め、期限が来たら掘り出すという物だ。その起源は古代文明にまでさかのぼると言われるが、そこまで古い由来を持ち出さなくても、学校の卒業記念などに行われたりする、一種の催し物だ。
「これ、ね、博士から貰った物なの」
頭の中にあるデータをひっくり返しているバブルに、スプラッシュは言葉を重ねた。薄い手の中では、あの四角の箱がコロコロと転がっている。
「知り合いの科学者が新素材で作ったって。耐水耐圧耐熱……ありとあらゆる状況下に耐え、変形しない新素材、それで作った箱なの」
「ありとあらゆる、か……」
「ああ、もちろん、あんまりすごい状況だと、さすがに耐えられないとは言っていたけれど、でも、例えば、こういった水の中でも大丈夫なんだって」
ふうん、と気のない返事をして、バブルはスプラッシュから箱を借りる。手にした限りでは軽く、それほどの強度があるようには思えない。
「ちょっと力をくわえてみてもいい?」
尋ねると彼女は変わらない表情のままで頷く。その言葉に甘え、早速五指に神経を集中させてみた。バブルは、これでも戦闘用ロボットである。リミッターを外せば、鉄パイプくらいは指で簡単につぶす事が出来る位の力は持っているのだ。だからこれくらいの箱なぞ……。
「……あら?」
しかし箱はびくともしなかった。微かな軋みもなく、歪みすらも見せなかった。悪戦苦闘で顔が赤くなりそうな彼を見て、スプラッシュはおもしろそうに眼を細めていた。
「凄いね、こんなものが出来るなんてさ」
早々に諦めたバブルは、掌の箱をもう一度彼女の元へと戻した。
「私もね、貰った時やってみようとしたのよ。ガッツ兄さんやコンクリートにも試してもらったけれど、それでも大丈夫だったの。アイス兄さんやファイヤー兄さんも途中で来てね、二人で凍らせたり、燃やしたりしてみたけれど、ちっとも平気だったのよ、この箱」
そこまでしたのならば本物であろう。ワイリー博士以外の人間がこんなものを作るとは。バブルは思わず感心した。
「これだけ丈夫なら、貴重品を入れるのにピッタリだね」
「私もそう思ってね、最初は貯金箱にしようかなって思ったの。でも私、お給料は振込だからそもそも貯金箱が必要ないし、アクセサリーボックスはどうかしらって思ったけれど、ジュエルから貰った物があるからそっちも用事が足りてしまっていたのよ」
苦笑いを浮かべて、スプラッシュはもう一度箱を撫ぜる。用途があるからこその道具であり、それがなければ不用品、きつく言えばゴミである。普通ならば捨ててしまえばと口にしそうであるが、手に入れた経緯が経緯である。更に言えば、スプラッシュは一度、人間の手によりそのような処理を受けた身の上だ。これと自分は少し違う、とは理解しているであろうが、それでも言うのは躊躇われた。
「どうしようかなって、考えていたんだけど、ちょうど近くの小学校でね、卒業式をしていたの。そこでタイムカプセルを埋めていて、これだって思ったのよ。これだけ頑丈な箱なんですもの、十年二十年なんてへっちゃらだって、そう思ったの」
「なるほどね……ところで、何を入れたの?」
もう一度箱を借り、バブルは中身を窺いながら尋ねた。
「オルゴールと写真。ライトナンバーズのと、海の皆のと、職場の人達とで撮ったのよ。あとロール姉さんと一緒に作ったビーズ人形と、見学に来た子供が送ってくれたイラスト。それから……」
並べられた品物は未来に贈る物としてはあまりにもささやかなである。だが彼女を知っていれば、それらが如何に大事な物であるかはすぐに理解できた。
「……あと、ね、貴方からもらった二番目のラブレターも入れたの」
口元を隠して、彼女は頬を染めて呟く。その顔に愛おしさを感じながらも、バブルは少しだけ首を傾げた。
「二番目……初めての奴じゃないの?」
このような場合、最初に贈られた物を入れるのが普通のはずだ。
「初めてのは、手元に残しておきたいの。ここに入れたのも、ちゃんとコピーして残してあるんだけどね」
ああ、もう、可愛いんだから。はにかむスプラッシュを前にして、バブルはマスクの下で呟く。このまま腕の中に納めてしまいたい、と思わず動きそうになったが、傍を通った魚ですぐさまに意識を取り戻した。生憎ここは人目の多い場所である。知り合いに見つけられてからかわれるならまだしも……不利益になるような事になってしまったら一大事だ。
「……それで、その箱を埋める場所はもう決めたの?」
わざと大きく咳払いをして、バブルは尋ねた。
「ううん、決まってないの」
だからね。
「貴方と一緒に、これを埋める場所を探しに行きたいなって思ったの」
包むように目の前の硬い手を握ると、いたずらっぽく笑って人魚はそっと囁く。恋人の誘いを断ると言う選択肢を、バブルは当たり前であるが持ち合わせていなかったのである。
紺碧と勝色の狭間は、日向水と冷水が混ざり合い面白い感触を作っている。浮上と潜行を繰り返すたびにスプラッシュは楽しそうに笑う。それにつられてなのだろうか、魚達が、小さな物を中心にそろそろと彼女の後につくのである。
(ハーメルンの笛吹きだなこりゃ)
口には出さずに呟くと、バブルはくすくすと笑った。思い出せば、スプラッシュが基地に来ると、いつもヒートやスパークが呼んでもいないのにやってくるのだ。彼女はどうも小さい物に好かれる性質があるらしい。
「いつもの場所でもいいような気もするけどね」
先ほどまでいた、海で活動するロボットの海底集会場を思い出す。あそこはほどよく物があり、また海藻がぐるり囲むように植わっているので、ちょっと隠れて何かするにはちょうど良い場所なのだ。
しかしスプラッシュは、その提案に対して首を横に振った。
「確かにあそこは私も大好きな場所だし、タイムカプセルを埋めるには良い所かなって思ったのよ。だけど……」
「けど?」
覗き込むと、恥ずかしかったのかスプラッシュは頬に朱を走らせ、ふいっと顔を横に向けて細い指を突き合わせた。
「……ダイブとパイレーツが喧嘩した時にふっとばしちゃいそうなんだもの……」
確かに。バブルは言葉を放つ代わりに強く頷いた。普段から仲の悪い両者の武器は何の因果かともに爆発物である。この前なぞ、激怒したダイブがミサイルを放って近くにあった大岩をこなごなに砕いてしまったほどである。
これほどの強度を持った箱が、二人の諍いで壊れるとは毛ほども思っていない。しかし喧嘩のせいで地形が急激に変わり、埋めた物がどこだかわからなくなるかもしれないし、反対にうっかり掘り出されてしまう可能性もある。そうなってしまっては興ざめだ。
「一応目星は付けてあるのよ。向こうの、廃船が寝ている場所の近く」
遠慮がちにスプラッシュは東の方角を指差す。魚達の何匹かが、そちらの方向を知っているのか、嬉しそうに彼女の白い指に口付けていた。
「ああ、あそこか。確か魚の住処を作るからって、色々整えた場所だっけ。でもそういった所って、ダイバーとか研究員とか、人が結構来ているんじゃない?」
海の中の状況はそれなりに把握しているが、足を向けた事はあまりなかった。人目と言う物がやはり気になるのだ。
「それがね、潮の流れが結構きつくてダイバーはあんまりこないのよ。研究している人も、自然のままが一番だからって半年に一回行くくらいなの」
「へえ……そんなに潮の流れが凄かったっけ、あそこ」
「人間にとってはきつい場所なのよ。私も何度か救助活動に行った事があるし、つい先月も、近くで停泊した釣り船が沖まで流されて、救助要請を出していたんだから」
尾びれを力強く動かし、彼女は一気に先へと進む。大岩を一つ乗り越え、目を下に向けると、海洋生物の楽園が飛び込んできた。色とりどり、多種多様な生き物が住まいを作り、水の中を飛び回る。植えたのか、それとも自然に育ったのか、いまいち判別はつかないが多くのサンゴや海藻が目を楽しませてくれた。
廃船がある、と聞いていたもののしかしそれがどこにあるのか、バブルにはわからなかった。辺りを探し回り、ようやく中央付近にそれらしい物を見つけたが、水圧の影響と魚達の頑張りのせいで、そうだと言える自信は持てなかった。
「思ったよりもいい場所だねぇ」
感心の息が思わず零れる。正直な話、このまま中に入るのが躊躇われるほどである。研究所の人間が手をつけないでいた気持ちが、バブルには痛いほど理解できた。
「ダイブや……ネプチューンがたまにここに来るわ。ウェーブも来ているみたいでね、中に入った辺りでぼーっとしているのを、時々見かけたわ」
最近はちょっと見ていないんだけど、とスプラッシュはサンゴの平原の向こうに見える岩陰を指差す。なるほど、あの人嫌いが足を向けていたと言うのなら、ますます本物だ。
「しかしここまで見事だと、中に入り辛いというかなんというか……」
「さすがに私も、この中に埋めようとは思わないわ。こっちよ、こっち」
悪戯っぽく笑い、人魚は大岩から飛び降りて横へと泳いでいく。その後を追ってぐるりと曲がると、窪みの辺りで待っている姿がそこにあった。
「ここよ、ここ」
言われた場所を見てみると、そこは海流のせいなのか、木材などの漂流物が積み重なっている。人工物を嫌ってなのか、魚達の姿もひどく少なかった。
「ここなら魚さんの邪魔にもならないし、物が一杯だから人目にもつかないでしょ?」
「それに目印もしっかりしているしね」
岩肌に手をついてバブルが呟くと、スプラッシュも頷いて笑顔を浮かべた。その表情につられバブルも口角を上げようとしたが、刹那に思い直してぐっとこらえた。愛おしい時間をずっと続けたい、出来れば彼女と共にいたいと思うが……もう、そんな訳にはいかないのだ。
気づかれないように首を横に振り、唇を噛み締めた。こんな時に、マスクは便利だ。
「この木をどけて……あら?」
「あら」
流木を持ち上げた瞬間、赤い魚が二人の前に飛び出してきた。ぐるぐると周囲を泳ぎ、じっと見つめてくるその目には、威嚇の色がはっきりと見えていた。
「あら……貴方どうしたの?」
魚に尋ねる彼女を見て、少しの笑みを作りながらバブルは魚が飛び出してきた場所を覗き込む。偶然によって積み重なった物によって生まれた、暗く小さな空間に、先ほどの魚と同じものがもう一匹、息を潜めていた。
「なるほど……ここは君とお嫁さんの家ってわけか」
スプラッシュの掌で遊ぶ魚に声をかける。照れているのか図星なのか、彼はふいっとお尻を向けてしまった。
「それじゃあ……その場所を使うってわけにはいかないわね」
私が先に見つけたんだけど。青い魚は唇を尖らせるが、そこに怒りなどの表情は全くなかった。
「じゃあ、お嫁さんと一緒にお幸せにね、魚さん」
額の辺りを撫ぜ、スプラッシュは魚を手放した。赤い魚はぺこりと頭を下げると、もう一度隙間へと潜り込む。それを見届けてから、バブルは持っていた木材を元通りに置いた。
「……ましいな」
海水が微かに揺らいだ。え、と聞き返してみたが、声を発しただろうスプラッシュは、目をほんの少し伏せて、ただ首を横に振るだけだった。
「……じゃあ次の場所に行きましょう、バブル」
言葉を聞く前に人魚は尾を動かし始める。耳に届かないだろう、返事をしてバブルもまた深海に身を躍らせたのである。
「外部の者との接触は控えた方がいい」
緋色の瞳がじっとこちらを見据えている。なぜ、と問うのは野暮以外の何物でもない事は重々承知だった。これからの事について、話し合ったのはほんの一刻前の事なのだから。
「もうすぐで、最後のワイリーナンバーズが完成する。それの封印が済み次第、計画を実行するからな」
声を聴きながら思い出すのは、カプセルに入り、点検を待っていたロボットだった。金の髪と、真新しい朱色の装甲が眩しくて、目を細めてしまったけれど、きっとそれだけではないはずだ。
「本当に、あの子が最後になるのかな。……この計画が成功すれば、また新しい兄弟が生まれるんだよ」
「……残念ながら、答えはノーだ。自分で口にするのは悲しいがな」
呟いた希望はにべもなく否定された。わかっていたはずだ。資金や資源はいくらだって都合はつくが、時間だけは、博士の体だけはどうしようもないのだ。
一度抗ってみた物の、それは最悪な結果をもたらす可能性があり、完成の一歩手前で取りやめていた。
「相手はロックマンだけではない。全てのロボットが敵になる。それを承知のはずだ、博士も、俺達も」
兄をじっと見据えたまま、バブルは何も言わなかった。表情の見えない瞳を逸らすと、彼は踵を返して歩き出す。背後から静止の言葉を掛けられても、その足は止まらなかった。
「許してよ。これで、最後にするから」
「……貴方、バブル……?」
心細げに自分を呼ぶ声が頭に響く。ゆっくりと目を開けると、スプラッシュが不安げな表情でこちらを覗いていた。
「ああ、よかった……。何か不調が起きたのかと思ったわ」
人魚は安堵の溜め息と共に顔を綻ばせる。頬を擦る手を取り、バブルはごめん、と彼女に言葉を告げた。ちょっと休憩、で横になったつもりが本格的な物になっていたようだ。
「声をかけたのに、返事がないからどうしたんだろうって、見てみたら貴方、ピクリとも動かないんですもの……」
「ちょっと寝てたみたい。最近忙しかったからさ」
スリープモードに入ったのがいつだったのか、思い出せなかった。研究所の補強や資材の備蓄、戦闘訓練や作戦会議と、やることが次から次へと生まれ出ていたからだ。
「ごめんなさい、バブル」
小箱を掌に納めたスプラッシュはポツリ、と言葉を落とした。
「そんなに疲れていると知らないで、貴方を連れまわしたりして……」
白い手が優しく頬を撫でていく。柔らかな感触に思わず心臓が跳ね上がった。
「気にしなくていいよ、ここ、とっても気持ちよかったからさ」
顔を上に向けると、ゆらゆらと揺れる海天井が見えた。海上に近いここは差し込んでくる光芒も効果があるらしく、体を包む水は温く、ろくにメンテナンスを行っていない身体にはとても心地よかったのだ。
「そう?」
「うん、大丈夫だよ……ああ、そうだ」
膝の上に置かれていた、もう片方の手を包んでいる途中で、バブルはそういえば、と小さな包みを取り出した。
「はい、どうぞ」
掌に二粒、丸い物を渡す。瑠璃色の世界で、緋色が目にも鮮やかである。
「これ……確か前に発売した飴よね?」
「うん。ヒートが欲しいって強請ってきたからさ……ついでに僕も一個買ったんだよ」
マスクを下ろし、一粒を口の中に落とし込む。舌先で数秒転がすと、わっと甘い林檎の味が広がった。
「ん、むぅ……これって確か、中にハチミツが入っているのよね」
「そうそう、舐め続けるのもいいけれど、こう、割ってしまうのも……あ」
掌から滑り落ちた蓋が海底へ沈む。海流のせいか、蓋は流れ流され、二人が背にしていた岩の後ろへと行ってしまった。
「ちょっと持っていて、すぐ戻るから」
飴をスプラッシュに渡してバブルはすぐさま蓋を追いかける。大して時間はかからないだろう、とスプラッシュは最初考えていた。しかし、彼はなかなか戻ってこなかった。
蓋を拾うのにそんなに時間がかかるだろうか? ぎゅう、と胸の中で重い物が広がる。軽い物だから遠くへ流されてしまった、それだけなら問題はない。しかし、彼はこんな所で居眠りをしてしまう程疲労しているのだ。……もしかしたら、深刻な不調が起きて動けなくなってしまっているかもしれない。
その考えに到達した瞬間、スプラッシュはいてもたってもいられなくなった。美しい尾を靡かせ、彼の後を追おうと後ろを振り向いた途端、音もなくバブルが眼前に現れたのである。
「びっくりさせちゃった? ごめん」
「いいえ、私の方こそ……。大分時間がかかっちゃったけれど、大丈夫? 何かおかしくなった部分はない?」
心配そうに眉根を寄せて、目の前の人の肩に手を置く。硬い装甲に、かさかさとした物を感じたのは気のせいだろうか。
「ありがとう、でも、ちょっと僕についてきてくれない?」
彼の誘いを断ると言う考えを、スプラッシュは当然持っていない。言葉を口にする前に体を動かすと、バブルは優しく手を引いてくれた。
岩を滑るように、下へ下へと向かう。二人がいた場所の反対は、どうも深くなっていたようで、底へと辿り着くのに随分な時間を要してしまった。
身を包む温い水の色は、鉄紺と言うよりは黒に近い。天上にある太陽はあまりにも遠く、ほのかな明かりしか届いていなかった。ここからまた広大な世界が広がるのか、と思って目を先に向けてみたが、七メートルも行かぬうちに壁が立ちはだかっていた。どうやらここは偶然できた窪地であるようだ。
普通であればこういった場所には不安を感じる物である。しかし萎められた明りのせいだろうか、それとも温かな海水のせいだろうか、奇妙な安心をスプラッシュは覚えていた。
子供や、ある種の人間は押し入れの中に入るのを好むと言う。それは遠い記憶にある母の胎内を思い出すからだそうだが、ここももしかしたら同じなのかもしれない……。
そこまで考えて、スプラッシュは小さく笑った。腹から生まれたわけではない自分が、人と同じ安心感を覚えたのが滑稽に思えたのだ。
「面白い場所ね」
微笑みを湛えて彼に呟く。位置のせいで良く見えないが、頷いたバブルの顔は、きっと自分と同じ笑顔であろう。
「こういった地形を作るから、自然は面白いよね。人間やロボットだったら、こうはいかないよ」
手を伸ばせば、ここを住処にしている魚達が興味深そうに突いてくる。あの人造の楽園ほどではないが、ここも彼等の安息の地であるらしい。
「ねえ、ここにしないかい?」
目を細めたバブルは、背後の壁を触りながら呟く。
「ここはあの岩が目印になるし、適度に狭いから人の手も入りにくいと思うんだ」
「そう……ね。潮の流れも悪くないみたいね、漂流物もそんなにないわ」
こんな狭い場所であれば、漂流物が山を作っていてもおかしくない物である。しかしここにあるのは自然物だけだった。
「偶然に恵まれた土地を、ほんのちょっとだけ、お借りするわね」
指先に口付けていた魚に挨拶して、スプラッシュは小箱を取り出す。目印となりそうな、サンゴの木を生やした大岩の前に跪いたその時、バブルが声を上げた。
「待って、ちょっとそれ、貸して」
スプラッシュから小箱を借り受けると、バブルは海底を蹴り上げる。海上へと昇った彼は、数分としないうちに人魚の元へ戻ってきた。
「ありがとう、邪魔してごめんね」
掌に戻った箱を一撫でして、スプラッシュは今度こそ大岩の袂に跪いた。浅く掘った穴にタイムカプセルを入れると、彼女はまたね、と手を振って名残を惜しみながら埋める。その様子を魚や、バブルは静かに見つめていた。無音の中、ふと、出かける前に掛けられた言葉が頭に浮かぶ。
(……ロックマンだけではないはずだ。全てのロボットが敵になる)
目の前の人魚も敵になるのだろうか。考えて、今まで感じなかった水圧が、胸に伸し掛かってくる。こんなに苦しい物だとは思わなかった。
(でも、これが本来の形だったんだ。元に戻るだけだ、元に、そう、本当の関係に)
苦渋から逃れる為の言葉を、必死になって絞り出す。薬になるはずの言葉は、いくら頑張っても飲み込む事ができなかった。どうやらそれすら拒否してしまうほど、自分は彼女の事が心底から好きなのだ。その事実に絶望しつつも、バブルはどこか幸福を覚えていた。
「終わり、と……ねえ、何を入れたの?」
仕事を終えたスプラッシュがこちらへ泳いでくる。一瞬手を彷徨わせて、バブルはようやく白い手を取った。
「ん……秘密」
「そうなの、じゃあ、掘り出した時のお楽しみにしておこうっと」
バブルは深く詮索しなかったスプラッシュに感謝していた。口に出したら、苦しさに耐えきれないような気がしたのだ。
「二人で掘り出しに来ましょうね」
細い指がしっかりと絡まって来る。離さないと言うように、今までにない力がそこには籠っていた。
彼女も、きっと何かを悟ったのだろう。自分達が何をしているのか、どのような事を起こそうとしているのか、そしてその結果も。もしかしたら、自分の様子を見る前にわかっていたのかもしれない。
聡明なスプラッシュならわかっているはずだ。自分を止める事は出来ない、と。負担になる、果たせない約束ならしない方がよい、と。
「絶対よ、約束」
それでも約束だけでも交わしたいと言う気持ちは、声からしっかりと伝わってきていた。白紙になる事が確実な物であっても、最後の縁を欲したのかもしれない。そしてそれは、押し込めていた感情が望んでいた物でもあった。
「……いいよ」
額を突き合わせて、バブルは呟く。はっきりと見た彼女の青い瞳は、僅かに濡れていた。
「いつになってもいいから、二人で掘り出そうね」
それ以上を言えなくて、バブルは力一杯、人魚を腕の中に納めた。急な行動にスプラッシュは僅かに身じろぎをしたが、それもすぐになくなり、目の前の人の背に腕を回して来る。
柔らかく、温かな鉄紺の世界の中で、二人はただこの時が永遠に続く事だけを考えていた。ただひたすらに、考えていたのである。
おわり
大変お待たせさせてしまい申し訳ありませんでした。切なく思っているバブルはどうだろうと思い、9事件前ではなく少し先、ロックマンにとっての、本当に最後の戦い辺りをイメージした物にしていました。
どういった経緯を辿ったとしても、二人は最後まで一緒です。ただバブルから赴くのではなく、スプラッシュの方が動くんじゃないかな、とは思います。
大福様、遅くなってしまい申し訳ありませんでした。そして、リクエストありがとうございました。
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