「訓練を終えた後、いつもこう、胸の辺りが苦しくなるんです」
休憩室の片隅に置かれているソファーに座り、ネプチューンは独り言のように呟いた。
「前はそんな事なかったんです。室内プールでの訓練の時は。それが外の海で泳ぐようになってから、こう、細い糸で縛られたように痛くて」
胸を擦りながら、体の中の酸素を追い出すかのように息を吐く。隣に座っていたサターンは姿勢を正すと、改めて彼の言葉に耳を傾けた。
「機体に異常は?」
「最初そう思って、ワイリー博士に診てもらいましたが異常はありませんでした。ああもちろん、アース隊長にも診てもらいましたよ。結果は異常なしでしたけど」
「海の水圧の変化に対応できなかったってのは?」
「そちらも検査しましたが正常でしたね。ああ、それを確かめる物も正常でしたので、ご心配なく」
ふうん、と相槌を打って腕を組む。ネプチューンの活動領域は水中という、対応出来る物でなければ手出しが出来ない場所である。そのためにどんな小さな異変にも気を配らなければならないのだ。
「室内プールだと異常はなかったわけだよな……なにか、海に出た時との違いってあるか?」
手がかりを探す為にサターンは外堀から埋め始める。ううんと、と考える半魚人を眺めていると、彼は声を一つ上げて手を打った。
「そういえば、海に出るようになってから、ウェーブさんが一緒に泳いでくれるようになりました」
「ウェーブ? ……ああ、教官役のワイリーナンバーズか」
名前を聞いて思い出すのは、ネプチューンの物と同じようなサークレットを付けた、青いロボットだった。
自分達の訓練には、ワイリーが開発した戦闘用ロボットが教官として傍らにいた。地球の環境に慣れるまでの指導者として、また何かの事故が会った時の救助役として常に行動を共にしているのだ。
「そいつに何か問題があるのか? わざと深い所を泳ごうとするとかそんな……」
「いいえ、そりゃ、バブルさんの……ああ、ウェーブさんの先輩にあたるロボットですがね、その方が言っていた通り、あまり愛想の良い方ではありません。最初に挨拶した時なんて、ほとんど無視に近い感じでしたからね」
ふう、ともう一度息を吐く。しかしそれは、会話の最初にしたものと少し違う種類の物だった。
「じゃあ、そいつ……ウェーブとお前の相性が悪いんだろ? それが負荷になって……」
「いいえ、最初はそんな気もしたんですがね、でも何度か顔を合わせるうちに、この人は見知りじゃないと無愛想になるんだなってわかってきたんですよ」
「無愛想?」
鸚鵡返しをするサターンに、ネプチューンは納得していないのか、ううんと呟いた。
「無愛想っていうか、怖がっている、って言った方がいいですかね。顔を近づけた時なんてこっちくんなって、バスターになっている腕を振り回しながら涙目になっていましたし」
状況を聞きながら、戦闘用としてそれでいいのか、とサターンは呆れた。生まれた星であったなら、そんなロボットはすぐにスクラップとして処分されていたはずだ。まあ、そのような物を認めているという事が、この星の寛容性を体現しているのだろう。
「なんか、それに対して腹が立ったとかか?」
「いえ、それがそういった物は思い浮かばなかったですね。それで海に出るようになって、ああ、その方も一緒ですからね。それで、その、海が凄く綺麗だったんですよ。もう、感動しました」
赤い瞳がキラキラと輝き始める。長くなりそうな気がしたので、サターンはぽん、と彼の肩を叩いた。
「ああ、すいません。感動してふと、ウェーブさんの方に顔を向けると、彼はそばを泳いでいたイルカを眺めていたんです」
再び息を吐いたネプチューンを眺めるサターンの頭に、一つの仮説が出来上がる。証拠はまだ足りないが、彼の様子を見るに、おそらく補強できる分を得る事は出来るはずである。
「その目が……非常に綺麗だったんです。もう、キラキラと、晴れの日の海みたいに輝いていましてね……ウェーブさんの顔はマスクで大半が隠れているんですが、笑っているってわかったんです。その顔の素敵な事と言ったらなくって」
「その訓練から帰ってから、異常に気付いたんじゃないか、もしかして」
そのような言葉を掛けられ、まだ語ろうとしていたネプチューンは目を丸くする。あまりにも滑稽な表情に、サターンは笑いそうになったが一応真面目な話をしている最中である。必死に湧き上がって来る物を噛み殺し、上がる口角を必死に下げた。
「ええ、そうなんです。その時からもう溜め息も出るようになって、しかも回数も増えちゃってひどくなる一方でしてね……」
「それってあれじゃね、恋じゃね?」
突然声が増えたかと思うと、二人の影がにゅるりと動いた。
「マーキュリー、いつからそこに」
「んー、結構前からよ」
ずるずると粘着質の音を立て、影は人の形にへと変化する。本来の姿になったマーキュリーは二人の間に割って入った。
「しかし貴方、私のこの症状が恋、思慕によるものと、どうしてわかるんですか?」
切ない症状を訴える胸を押さえながら、半魚人はスライムに尋ねる。
「えーだって、人間が良く言ってるじゃねーか。それと同じのが出てるなら、恋って奴に決まってるだろ、俺はそんなのよく知らないけど」
「そんな無責任な」
脱力する二人を前に、マーキュリーは欠伸を一つして答えただけだった。戦闘用のロボットとして作られた彼らのCPUには、人間が持つ感情と寸分変わらぬ物が組み込まれている。人間を相手する時に有利に動く為、と当人たちもそれは承知しているが、まさかこんなものまであるとは予想だにしていなかったのである。
「……でも、まあ、あの人が組み込んだのなら悪い物ではないですよね……」
造り主の姿を思い出し、胸を擦る。ネプチューンの動作を眺めながら、サターンはそういえばと思い出す。そういえば、ネプチューンは自分達ルーラーズの造り主に対しては、比較的穏健な考えを持っているのだ。
「そうそう、……まあ、あの人だから面白そうとか、削除するのがめんどくせーとかで入れっぱなしの可能性もあるけど……」
後半の無責任な発言は、果たしてネプチューンに聞こえていたのだろうか。
「そうか、恋か、そうか、これが……」
ブツブツと呟いて、そして彼は晴れ晴れとした顔で立ち上がった。
「……ありがとうございます、マーキュリー。ようやくすっきりしました」
「お、おい!」
サターンの制止に気づかず、ネプチューンはなんとも軽い足取りで部屋の外へと出て行ってしまった。伸ばした腕をそのままに、固まっていたサターンはゆっくりと手を下ろすと、隣でのんびりしていたマーキュリーを捕まえた。
「お前な、無責任にもほどがあるぞ」
「いいじゃねえか、ウジウジわからない症状に悩まされるよりマシだ。アースの手も煩わせないし」
他人を巻き込んでんだろ、とマーキュリーの頬を伸ばすが柔らかい体にダメージはちっとも与えられないようである。ついでにぐりぐりと捩じりながら、ネプチューンの感情の矛先となった、気の毒なウェーブマンにサターンは頭を下げたのである。
終わり
出会ったばかりの頃の波さんにとって、海王星さんは妖怪や化物といった感じの物、というイメージがあって、よくそういったイラストを描いています。
じゃあ海王星さんにとっての波さんはどんなものなのか、と考えてみた結果、天使や神様と言う感じになりました。そこまで行かなくても自分にとって良い物を与えてくれた人物、と言う好印象だったんじゃないかなーと思いました。
人嫌いで余裕がない波さんと気分屋でのんびりしている海王星さんの差と言うか、普通だと平行線になりそうですが、うまく操作する事によってラブラブに……なってくれるといいなぁ。くっついた暁にはこの二人はすっごいラブラブになってくれると思う。
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