「お前も、随分と根性のある男だよな」
頂き物の羊羹を一切れ、口に運びながらマーキュリーはぽつりと呟く。脈絡のない言葉にはて、と首を傾げるネプチューンを見て、対面に座っていたマーキュリーは、羊羹を指したままの爪楊枝でこちらを指してきた。
「だってお前、誰だったっけか、あのお前と似たのつけてる、丸い奴」
「ウェーブマンですよ、アナタ名前ぐらい覚えなさいよ」
「そうそう、ウェーブマン、相手にされないのに、頑張ってカマかけてるんだろ?」
そこまで言うと、マーキュリーは爪楊枝から滑り落ちそうになった羊羹を頬張る。彼の様子を眺めるネプチューンの顔は、笑っているがどこが寂しそうでもあった。
「それでなんか、手ごたえなしだって話じゃないか。俺だったら相手にされてないって、がっかり来て終わりにしちゃいそうだけど……」
乾いた笑い声を上げ、皿の上の羊羹を一切れいただく。貰い物のそれは相当に良い品のはずだが、どうしてかあまり甘みを感じられなかった。
「そこはそれ、人それぞれですから……私はただ、自分で考えていたよりも、しつこい男だった、と言うだけですよ」
「そういうもんか? でも、空しくならないか? 好きだって言っているのに、けんもほろろって言う態度なんだろ」
「いやまあ……でも、あの人が好きですから。例え無視されようが、真正面から嫌いだと言われようが、それで途切れる事はないってもんですよ」
「そういうもんか? ……まあ、お前がいいって言うなら、いい話なんだけどさ」
一応の納得はついたらしく、話を打ち切ってマーキュリーは目の前の羊羹に神経を向けてしまう。ネプチューンは、彼の態度に腹を立てる事はなく、むしろ安堵の息を吐いていたのである。
「根性が、ある、かぁ……」
布団の上に寝転がり、ネプチューンは昼間の会話を思い出す。マーキュリーは自分の態度に感心していたが、彼に話した通りの殊勝な思いだけを抱いているわけではないのだ。
目を閉じ、暗闇の中でウェーブを思い描く。自分と対面する時の彼は、いつだってむっすりとしているから、空想での顔も、それに倣ったものだった。
笑った顔を見た事がない、と言うわけではない。ただ、それは自分に向けているのではなく、第三者に対して行っている物を偶然見かけただけなのだ。
息を吐くと、体が一層重たく感じられた。眠いから、だけではなく、気分的な物も手伝っているらしい。のろのろと体を起こすと、照明を消して薄い毛布を被った。つけっぱなしで寝る事は許されない。金がかかると、アースやビーナスに怒られてしまうからだ。
明かりがなくなると、音たちも釣られたのか、どこかに腰を落ち着けてしまったようである。静かな部屋の中、ひとしきり、冷たい空気を吸い込んだ。
ウェーブの事は好きだ。光差し込む海天井や、海底に降り積もるマリンスノーを眺める、凛とした横顔も、海洋の生き物に優しく目を細める面も、戦場で雄々しく戦う姿も、全てが目に焼き付いている。与えられた使命を最後までやり通そうとする志も、ボロボロとなっても食らいついていこうとする、痛々しいまでの強さも、何もかもが愛おしかった。
そんな彼の隣に、出来れば特別な物になりたいと、そう思って告白を口にしてみたが、結果は良くなかった。無視され、嘲笑われ、怒られ、罵られ、……それでも彼への思いは変わらず、ふとした時に言葉を贈っていた。その後に貰う物が、自分の望む物でなかったとしてもだ。
だが……このままで良いのかと言う疑問も出てきている。ウェーブへの愛は変わらない、そう思っているが、これが愛ではなく、ただの執着になっているのではないかと。
(地球じゃ、こういう男をストーカーって言うんですよね)
自分の意地で、ただの押し付けになっているのならば、抱える物を捨て去ってしまった方が、ずっとウェーブの為になるに決まっている。気持ちを手放すのも、愛の一種だと、以前に読んだ本には書いてあった。
(でも……ワタシがそれをしても、何か、愛とは違う気がするんですよね……)
好意を告げても反応がなかったからと、実りのない畑に水を撒いても仕方がないと思ったからと、結局はその程度の愛だったと、そう思われてしまいそうな気がしたのだ。誰に、と言われたら、それは答えようがなかったが。
身じろぎをして、横向きに姿勢を変える。どんなに考えても道がわからないならば、一旦切り上げた方が良い物を得られるものだ。毛布をもう一度かけ直し、ネプチューンはCPUをスリープモードへと移行させたのである。
目の前に広がる海は、翡翠色をしていた。波は穏やかで、静かな音は眠気を誘うほど心地よい。
白色に染まった砂浜に腰を据え、ネプチューンはぼんやりとこの世界を眺めていた。
(はて、なんでこんなところに?)
自分は確か、自室のベッドの中にいたはずだが、と思い出し、ようやくこれが人間でいう所の、夢であると理解したのだ。
ロボットが夢を見る。それは珍しいが、あり得ない現象ではない。人と同じ心を持った者は、スリープモード中に情報の整理を行う。その作業中に忘却しても良いか、処分にあぐねた物を判断させるために見る映像が、夢、になると言う。
ネプチューンも、過去に「夢」と言う物を体験している。地球に辿り着き、初めて本物の、生きている「海」を泳いだ、その日の夜に夢を見ていた。真っ青な水が煌めき、魚やイルカやサンゴや貝、海洋生物が散らばり、その中には彼も、ウェーブもいて……。
(思えば、あれがきっかけだったのかもしれませんね)
かつて見た物を思い出し、静かに笑みを作る。あの夢を境にして、ウェーブに対して少し特別な思いを持つようになったのだ。
(今にしてみたら、あれ位の頃が、ずっと幸せだったのかも……)
ほんの少し。その程度だったならば、もっと良好な関係を築けていたかもしれない。友人や、親友、までは言い過ぎかもしれないが、彼が同期に向けるような顔を、自分にもしていてくれたかもしれないと、そう考えてしまうのだ。
考えを落とす様に首を振る中、ふと足元を見ると、白い砂粒の間に、淡い桃色が混ざっている事に気づいた。
「あら……」
恐る恐る桃色を摘み上げ、掌に載せ、ネプチューンは安堵の息を吐いた。
「やっぱり、桜貝でしたね」
淡い桃色は日光にキラキラと微かな煌めきを見せる。現実でいつも見つける桜貝は、どこかが欠けているのだが、流石夢の中と言うべきか、これは美しい形をしていた。
他にもあるだろうか、と軽く砂原を撫でると、白色や濃紅の貝殻がいくつも顔を出してくる。初めて海で貝を拾った時の事を心に浮かべ、一つ一つを拾ってゆく。あの時は拾った貝殻のいくつかを、ウェーブにプレゼントしていたな、としみじみ思い返していると、ごつん、と何かにぶつかった。
「あた、何……?!」
額の辺りを抑えながら顔を上げ、ネプチューンは瞬間、大きく目を見張って貝殻を砂地へとこぼしてしまった。フィンのついた足に、青くて丸っこいアーマー、そして頭には自分と似た、金色の飾りを付けた……。
「ウェーブ……?!」
上擦った声の呼びかけに、ウェーブは特に目立った様子は見せなかった。突然の訪問者に心は未だに動転し、押さえつけようとしても言う事を聞いてくれない。
「何、しているんだ」
降りてきた声に、動力炉がもう一度跳ね上がる。輸液が体を巡る音が、外に漏れそうな程大きく響いている。自分から話しかける事はあれど、ウェーブから声をかけてくれるなんて、仕事の用事でもない限りあり得ない事なのだから。
「か、か、ああ、貝拾いを、少々」
つっかえる声を出す喉を叱りつけ、ひとまず掌の中の貝を見せる。動転している自分と対照的な彼に、幾分現実を見出して、少しずつだが落ち着きを取り戻していった。
「綺麗な砂浜と海ですからね、貝殻も綺麗みたいで。ああ、よろしければ、アナタもどうぞ」
手渡して、何とか笑みを作った瞬間、ネプチューンは後悔に襲われた。眠る前、あんなに自分の態度を反省していたと言うのに、このざまである。
「ありがとう」
己の行動を心の内で激しく叱責する最中、聞こえたウェーブの声に、いつもの荒々しさはなく、あるのは柔らかさだけだった。恐る恐る彼の機嫌を窺うと、その顔に今まで見た事のない、優しい光を宿しているのだ。
「ありがとう、ネプチューン。とっても綺麗な貝だな」
そう言って、ウェーブは、笑ってくれたのだ。その表情は、現実で同期に見せるような……、いいや、それよりもずっと可愛らしく、柔和なのである。
「え、あ、え、そのっ」
怒涛の様に襲って来る出来事に、ネプチューンはとうとうついていけなくなってしまった。自分に対してそっけないウェーブが、こんな喜ばしい反応をしてくれるはずがない。このような事が起きるなんて、夢ではないか、と考えが行き着いてようやく落ち着く事ができたのだ。
(ああ、馬鹿だな、すっかり忘れていた)
あまりにリアルで忘れてしまっていたが、そうなのだ、これは夢なのだ。
(夢だったら、ワタシが望む通りの展開になるに、決まっていますよねぇ)
タネさえわかってしまえば、もうどうと言う事はない。動力炉が通常通りに戻ったのを確かめ、ウェーブの方をもう一度振り向く。自分の行動が不思議だったようで、彼は小首を傾げてこちらを見つめていた。
「すいませんね、ちょっと慌ててしまって」
「そうだったのか? 慌てる要素なんてない気もするけれど……」
そう呟いてウェーブはクスクスと笑う。そこに嘲る音色は全く存在しなかった。
「いや、もう大丈夫です。……よろしければ、アナタも一緒に、貝拾いをしませんか?」
「いいよ、ここ、綺麗な貝が多そうだから、拾うのが楽しそうだな」
彼から与えられる、全てが愛おしく、切なさに胸が潰れそうになる。それを必死に飲み下し、ネプチューンは、目が覚めるまでウェーブと貝拾いに興じたのである。
その夜を皮切りに、ネプチューンは毎晩、夢を見た。架空の舞台は、いつだってあの美しい海で、自分の隣にはウェーブがいてくれるのである。彼と共に海中を泳いだり、浜を散歩したり、或いはただ座って話をしたりと、現実ではできない、文字通り夢のような時間を過ごしていた。
夢は昼寝の時には見る事はなかった。夜限定のそれを、ネプチューンは一日頑張ったご褒美の様に思い、享受していたのである。
「最近ご機嫌だな、お前」
鼻歌交じりに書類仕事を片付けていたネプチューンに、サターンは声をかけた。
「そうですか? 別に特段な事はないんですがね」
その発言は、半分だけ本当だ。夢の中はともかく、現実では特に良い事はないのだから。
「もしかして、新しい恋にでも目覚めたか? あのペンギンみたいなやつに見切りつけて」
だらける為に水たまりのように体を変化させていたマーキュリーが、にょろりと上体を起こして寄りかかって来る。
「ペンギン、じゃなくてウェーブマンですよ。アナタ、いい加減名前を覚えなさいよ」
むっすりと口をへの字に曲げ、持っていた書類の束を紙の山に投げつける。乱暴な態度は良くない事だが、名前を憶えていない事もそうだったが、彼の発言にほんの少し腹が立ったのだ。
「ウェーブマンな。今度覚えとくけど、なんだ、俺はてっきりもっといい奴を見つけたのかと」
「相手にされないくらいで、心変わりを……」
食って掛かろうと、マーキュリーの方を睨みつけたが、ノック音に止められる。一人平静を保っていたサターンがドアを開けたが、客人の姿を見た途端に、抱えた怒りはどこかに吹っ飛んでしまった。
「どうもー、書類出来上がりましたー?」
「……」
てこてこと入ってきたのは、五期のスターマンと、ウェーブだった。
「あ、どうも。はい、これが見本で、原本はこっちに入ってますんで」
「ありがと、お疲れ様! こっちは締切守ってくれて助かるよ、って偉そうに言える立場じゃないか、うちも結構遅いし……」
陽気に雑談をするスターと違い、ウェーブはだんまりしたままである。それはいつもの事であるが、しかし妙に元気がないのだ。
マーキュリーとサターンは、スターとの会話に夢中である。こっそりと咳払いをして、ネプチューンはそっとウェーブに近づいた。
「ウェーブ、お久しぶりです」
「……お前か」
不愛想な声の響きに面喰ったものの、これが本来の彼なのだ。ここ最近は夢の中のウェーブしか会っていなかった為に、うっかり忘れてしまっていた。
あれこれと話しかけるが、反応は芳しくない。独り相撲をしているような、空っぽの気持ちが心に芽生えそうになるのが怖くてたまらなかった。
「ところで……なんだか元気がないみたいですが、大丈夫ですか? 何か不具合でも……」
「別に、何にもないよ。気にするなよ」
関係ないんだから。その一言に、かっととげとげとした感情が湧き上がる。確かに彼の言う通り、自分は強い関係をもっているわけではない。わけではないのだが……。
(それでも、気に掛けるくらいは……)
ウェーブはそっぽを向いたまま、こちらを見てもくれない。もし、あの海にいる彼だったら、もっと可愛い反応をしていてくれただろうが……。
(……全く夢の中の……!?)
「……あら、つい話し込んじゃった」
話の区切りに来て、スターはぱっと顔を上げた。
「ごめんなさいね、話すの好きだから、つい時間を忘れちゃって。それじゃあこの書類もらっていくわね、ウェーブ、行きましょ!」
「……ん」
スターに腕を引っ張られ、ウェーブは連れだって部屋を出てゆく。最後の一瞬、ウェーブはちらりとネプチューンの方を見たのだが、送られた方は客人の動作に気づいていなかった。
(……なんて事を考えてしまったんだ、ワタシは……)
深い淵に落ち込んだまま、半魚人は動かない。異常に気付いたサターンに叩かれるまで、ネプチューンはその場で呆然と立ち尽くしていたのである。
眠気を誘うような、静かで規則的な波の音が辺りに広がる。降り注ぐ日差しに刺激はなく、包むような暖かさが気持ちよかった。
いつもと変わりない世界の中、ウェーブは波打ち際で遊び、ネプチューンは少し離れた場所に座っている。いつもであれば、ウェーブと共にいるのだが、今日は何も言わず、傍に寄る事すらしないのである。
普段と違うネプチューンの様子に、最初は気にしていなかったウェーブも、そろそろと疑問に思い始めたようである。波を蹴り上げながら、時々後ろの様子を窺っている。ここで手を振るのが、男の普段なのだが、それすらもしなかったのだ。
「……どうしたんだ、ネプチューン」
疑問が頂点に達し、ウェーブはネプチューンに声をかけた。が、それでも半魚人の反応は乏しく、顔を顰めてウェーブは彼の傍らに腰を据えた。
「……どうしたんだ。何か、機嫌でも、悪いのか?」
顔を覗き込んでみるが、こちらに視線が向けられた事に気づいた赤い瞳は、するりと逃げだしてしまうのだ。
「ネプチューン?」
ネプチューンは顔を俯けたままである。波の音が木霊するだけの時間が続いた後、ようやく意を決した彼は、少し情けない表情をしてウェーブと向き合った。
「ウェーブ、ワタシは、この夢を見るのは……夢の中で、アナタに会うのは、これで最後にしようと思うんです」
ウェーブは黙ったまま、ネプチューンを見つめている。目の前の男が何を言っているのか理解できないと、声に出さないが態度ははっきりと語っていた。
「……どうして」
ようやく顔を覗かせた言葉は、濡れそぼって気の毒なほどである。通常のネプチューンなら、ここですぐに首を横に振って先程の言葉を取り消すのだが、今日はそれすらしてくれなかった。
「……オレ、何か悪い事とか、したか?」
「悪い事なんてそんな。今日までずっと、幸せでした。出来れば、このまま、アナタと過ごしていきたいって、そう思っていたぐらいです」
「じゃあ、どうして」
腕を掴んだ彼の目はすっかり涙に溺れている。少し動かせば、溢れてしまうのか、視線を逸らす事もしなかった。
「今日、現実のアナタとお会いしました。彼からの反応はあんまりよい物じゃあなくて、ここでのアナタを思い出して、正直心が張り裂けそうでしたよ」
「だったら……」
「その時、ワタシは夢のアナタと比べてしまったんです。夢のアナタだったら、と。……こんな考えが浮かんでしまった自分を、ワタシは軽蔑しました。愛する存在を、現実のアナタをないがしろにしてしまったんですから」
言葉を呟くネプチューンは、いつの間にか拳を作り、震える程に力をこめていた。ウェーブはその事に気づいたのか、縋っていた手を無言で解いたのである。
「現実のアナタがいるから、今日まで来れたんです。だのに、望み通りにならなかったからって、それを否定するなんて、ろくでもない話です。愛しているはずなのに、そんな事を抱いてしまうなんて、それは本物の愛じゃないですよ」
ネプチューンは強く言い切ると、顰めていた顔をふっと緩め、寂しそうに笑ったのである。
「夢のアナタに会えた事は後悔なんてしていません。現実のアナタも、笑ったらきっとこんなにかわいいってわかったんですから。……いつになるかはわかりませんが、きっと、現実のアナタにも、こんな風に笑ってもらおうって、希望が出来ましたから、ね」
「……馬鹿じゃないか」
話が終わり、少しの沈黙の後、ウェーブはぽつりと呟いた。
「だって、幸せなんだろ? 現実のオレよりいいって思ったんだろ? それなのに、惨めになる方を選ぶのかよ」
ぼっとりと、大粒の滴が零れ落ちる。それを合図に、涙が滂沱として流れてゆくのだ。ウェーブは零れる物を拭う事なく、ネプチューンを睨みつけていた。
「もう、二度と出てこないんだぞ! お前が後になって、やっぱり夢の方が良かったって、思ったって、こっちのオレに会いたいったって、泣いて頼んだって、絶対に出て来てやらないんだぞ! 惨めで、辛くったって、現実のオレが」
これ以上は、形になっていなかった。嗚咽を漏らして、ネプチューンの胸を叩くが、そこに力はちっとも籠っていなかったのである。
震える肩に、そっと手を添える。重みに気づいたウェーブは、それを払う事はしなかった。ただ、目の前の胸に縋って、大きな声で涙するだけである。
胴に腕を廻し、ウェーブをひしと抱きしめる。残酷な事を言い渡した自分に、そんな資格はないのかもしれない。いいや、現実も、夢も、ウェーブを愛すること自体が間違いなのかもしれないのだ。……それでも、目の前のウェーブは、自分を赦してくれたのである。
感謝の言葉を囁いて、丸い背中を撫で擦る。……遠くを見ると、海の色が薄くなっている事に気づいた。
「……もし、ネプチューン」
涙の混ざった声が聞こえる。頬に光る物を拭うと、彼は顔を胸に押し付けてきた。
「もし、現実のオレが、夢のオレみたいな事をしてきても、変だとか、腹を立てたりしないで、こんな風に、抱きしめてくれるか?」
「……怒ったりなんかしません。喜んで、アナタを抱きしめますからね」
約束のような呟きを口にすると、腕の中のウェーブは笑ってくれたのだ。
目が覚めるその時まで、ネプチューンはウェーブを抱きしめていたのである。
それから、ネプチューンはあの夢を見る事はなくなった。幾分かの切なさで、時々胸が痛くなるが、自分で決めた事だから、後悔はしなかった。
現実のウェーブの態度に変わりはない。相変わらずのそっけなさだったが、それを嘆いたりはしなかった。……思えば、あの夢のおかげで、彼への愛を確認できたのかもしれない。理想との突合せをしても、それでも現実の彼を、ウェーブを愛していると、わかったのだから。
その日、ネプチューンはウェーブの部屋を訪れていた。新しい基地に作られる水路や、ウェーブの後輩にあたるロボットの戦闘指導などの打ち合わせを行っていたのである。
「……あら?」
一区切りがつき、広げていた書類を片付けていると、机の上にガラスの瓶が置いてある事に気づいた。なぜこんなものが、とよくよく見れば、その中には貝殻がたくさん詰まっているのである。
「これ、は……」
見覚えがあると、いよいよ神経を集中させ、ネプチューンはそれらが、初めて海で貝を拾い、ウェーブにおすそ分けしたものであるとわかったのである。
「っな、お前!」
客人の様子に気づいたウェーブは、顔を真っ赤にして机の瓶をひったくった。
「すみません、行儀の悪い事をしてしまって。よく見たら、おすそ分けしたものだったもので」
残しておいてくださったんですね。
そう伝えると、ウェーブの顔の色を更に濃くしてそっぽを向いた。
「もったいなかったから、残していただけだ。別にお前からもらったからとかじゃなくてだよ」
言い切った後、彼は大きく目を見開いて背を向けてしまう。彼の態度に疑問を覚えたが、しかしそれは今のネプチューンにはほんの些細なものだった。
「そうでしたか……ありがとうございます、アナタ」
微笑んで、そう彼に伝える。自分が渡した物を、ウェーブが手元に残してくれていた。それだけで、今のネプチューンには十分であったのだ。
「それじゃあ、ワタシはこれで失礼しますね。続きは、また……」
部屋を去ろうと、踵を返したその瞬間、何かが腕に絡みつく。何事かと後ろを向くと、ウェーブが両手で手を挟みこんでいたのだ。
「何か……」
「……あの、あの、な……」
小さな期待が、胸の中に芽吹く。これ以上なぞ起こるはずがないのに、と叱りつけるが。
「あのな、ネプチューン、……その、な」
でも、目の前の彼の顔は、あの時の、夢の中の物と同じなのだ。
大きい目がゆらゆらと揺れている。頬はこれ以上濃くなりそうもないほど、紅色に染まっていた。
「ネプチューン、ネプチューン、……あのね」
冷たい海水に、真白い砂粒が現れる。潮の香は日の光に暖められていないからか、普段よりも爽やかである。
青色の世界の中、ネプチューンは砂浜に手をついていた。彼一人ではない、ウェーブも一緒である。二人で細かい粒を払いながら、隠れている宝物を探していた。
「ああ、ここに白い貝がありますね」
見つけた物を一つ、拾い上げてウェーブに見せる。目の前の人の瞳に棘はなく、柔らかくて優しかった。
「これ」
腕の上に何かを載せて、ネプチューンの方へ差し出す。そこには、さっき拾った貝殻と同じ色と形をしたものがあった。
「あら、そっくりな……」
「お前の奴の、片割れかも。合わせたら、多分わかると思う」
「貝は、同じ殻同士としか、合わないんですっけ」
ウェーブが持っていた物を借り、自分が拾ったものと合わせてみると、二つはぴったりと重なった。
眼前で起こった、小さな奇跡にウェーブは微笑む。その顔は夢の中と同じ、いいやそれ以上に可愛らしく、愛しい物だった。
終わり
夢を見る話が多いですが、ロボットはこんなしょっちゅう見ない気もする。
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