細長いグラスの中は、水で一杯になっている。円柱の小さな世界には何もなくて、寂しいほどに平和だった。
その静寂の中に、紙細工を一つ沈める。水面が一瞬激しく揺らいだけれど、その刹那を過ぎてしまえば何もかもが元通りになるのだ。でも、それはあくまでも表面上の物に過ぎない。
視線を側面に移動させれば、水を吸って開花した紙細工が、ゆらゆらと揺蕩っている様が見て取れる。本物よりも薄い花弁は水に靡き、ガラスによって生まれた歪みに目を瞑れば、風に遊ばれているようにさえ思えるのだ。
「それはなあに?」
小さな世界を楽しんでいたバブルに、スプラッシュの優しい声が下りてくる。集中を解き、水中グラスの奥に沈んだ目を、人魚の方に向けた。
「水中花、と言うものだよ」
彼女にもよく見えるよう、持っていたグラスを目の位置にまで掲げる。スプラッシュはしげしげと水の中の造り花を眺めるのだが、その姿が子供のようで、バブルは自然と表情を和らげていた。
「造花の一種でね、紙で出来ているんだ。水を吸うと花が開いたみたいになるから、水槽とか金魚鉢に入れて楽しんだんだって」
「へえ……そうなの」
名残の一瞥を送ると、スプラッシュはゆっくりとバブルの方へ視線を向ける。その口元は久しぶりに綻び、興奮しているのだろうか、頬にはほんのり朱が乗っていた。
「初めて見たけれど、水の中で咲いているみたいで、とっても素敵ね。名前もなんだか神秘的だし……」
「昔は夏の涼を得る為の方法に使われたそうだよ。これはたまたま入ったお店で見つけたんだ。今じゃあんまり扱ってないけど、昔はおもちゃ屋や縁日で普通に売っていたって、お店の人は言っていたんだ」
「そうなのねぇ……今はクーラーとかで簡単に涼む事が出来てしまうから、この水中花みたいな間接的な涼み方って難しいのかもね」
呟いた彼女は静かに笑う。片側が傷だらけになったその面は穏やかだが、瞳には寂しげな色が混ざり、バブルは息を呑んだ。
「……スプラッシュ?」
「……あ、ううん、……ごめんなさい。ちょっと考えちゃっただけなの」
呼び掛けに曖昧な返事で返した彼女は、穏やかな笑みを湛えたまま、そっと目の前の人から目を逸らす。バブルは必死にスプラッシュを追った。追いかけないと、彼女の心がどこかに行ってしまいそうなきがしたのだ。
「今の私も、人によっては水中花みたいに見えるのかしらって、そう思っただけなの。ふふ、だって、そのコップの中みたいな場所にいるんですものね」
それだけなの、と再び顔を上げたスプラッシュの表情は、真意は汲み取れなかったが、今までと比べてずっと明るかった。が、その明るさが胸を掻き毟りたくなるほど切なく感じられ、喉の奥に痛みを覚えたバブルは、肯定も否定も出来なかった。
本来なら、スプラッシュはここに、ワイリー基地のメンテナンス用ポッドに入っているような存在ではない。そうなってしまったのは、全てロボット新法のせいだった。作業用ロボットの寿命を定めたこの法律の為に、スプラッシュはまだ動ける体だと言うのに、死へと追いやられてしまったのだ。
スプラッシュに触れようと手を伸ばすも、ガラスに阻まれてそれは叶わない。が、それで良かったと、息苦しさの中でバブルは、ほんの少し安堵していた。
彼女を含め、ロボット新法の為に処分となった、八体のライトナンバーズを回収している。しかしそれは親切心からではなく、ワイリー博士の世界征服計画の兵にする為のものなのだ。
……スプラッシュたちはその事実を知らない。ただ、再び仕事が行えるようにしてもらえると、廃棄の際に損壊した体を元通りに修復してもらえると、そう信じているのだ。
「……バブル」
バブルはすぐに顔を上げなかった。自責の念は業火の如く身の内を焼き尽くし、煮えたぎった輸液のせいで、眩暈を覚えていたのだ。掌を強く握り締め、怖々と面を上げた瞬間、入ってきた物に彼は目を丸くした。
「貴方、そんな顔をしないで、ね」
水槽の中の彼女は、女神のように慈愛に溢れた笑みを浮かべると、手を握りしめた緑色の拳に重ねる。強張りのあまり冷え込んでいた末端は、それだけで温かさを取り戻していた。
「何も怖くないわ。貴方がいるなら、貴方がくれるなら、私は、何も怖くないの」
例えその先にあるのが悪い出来事だとしても、愛する人からの物ならば後悔も何もない―― 捨てられ、寂しく朽ちてゆく事を覚悟したからこその言葉を頭で唱えたが、スプラッシュはそれを口にしなかった。
「…….そんな事を言わないで。だって……だって……」
真実に触れようとするが、それ以上が出てくる事はなかった。臆病な心は、真実を伝えて、スプラッシュに軽蔑される事を何より恐れたのだ。見栄を張る自身に苛立ちを覚えたバブルは、自然と彼女から視線を逸らしていた。
微かな、機械の作動音が部屋に積もってゆく。その中で、最初に口を開いたのは、スプラッシュの方だった。
「……彼はああいう気質だから、大義の上に私利私欲を重ねる所がある。本当は、優しい人物なんだ。ただ、自分を含めた全てが彼を傷つけていただけで。彼を頑なにしたのは我々の方なんだ。彼の作ったロボットを、見ればすぐにわかるよ」
入ってきた言葉に驚き、バブルは小さな声を上げた。彼女の言葉にしては固く、聊か仰々しい感じがしたのだ。バブルの面の変化を前にし、スプラッシュは久しく浮かべていなかった、可愛らしい笑みを作った。
「ライト博士が、ワイリー博士について、前に言っていた言葉なの。……それを聞いた時はね、私は半信半疑だったのよ。だって、他の人達は大体がワイリー博士を悪い人だって、ワイリーナンバーズは悪人だって言っているんですもの。……ロック兄さんとの事もあったし……でもね」
スプラッシュは亀裂の走った腕を動かすが、いくつものコードに絡みつかれた体に、さほどの自由はなかった。ほんのりと頬を染めた彼女は、未練を振り切るかのように首を横に振った。
「……でもね、ウェーブマンやアクアちゃん、そして貴方と出会って、ライト博士の言葉を、信じられるようになったの。だって、本当に心の底から悪い人だったら、貴方達みたいなロボットなんて、きっと作らないわ」
もし、ワイリーがそこまでひどい人間だったならば――彼に作られたバブルは、スプラッシュを前にして、ここまで苦しむ事はなかったはずだ。彼がこんなにまで悩み、人魚に言葉を濁している。それこそが、ワイリーが心底までの悪人でない事の証拠だった。
「だから、私は信じる事にしたの。ワイリー博士は、きっと私達みたいなロボットを救う手伝いをしてくれるって」
そこに至るまでの道程で、自分はきっと、苦難の底に陥り、望む結果を見る事無く果ててしまうかもしれない。それでも、未練を語る事も出来ず、一瞬にして忘れ去られる悲しみを、知人や、そうでない他のロボット達に味合わせたくないのだ。
「だから……、貴方、そんな顔をしないで。ワイリー博士の事は信じているから、あとは貴方がいてくれるなら、私は何も怖くないわ」
視界の彼女がゆらゆらと不自然に揺れる。輪郭はふやけてぼやけ、色しかわからなくなってしまう。目の奥の痛さを堪え切れず、瞼をきつく閉じた瞬間、目じりから何かが零れる感触がした。べたべたとした物が不快で、なんとか止めようとするも、次々に滲み出てどうしようもできないのだ。
引きつった喉から、声は形になって出てこない。溢れるのは、ただただ湿った音なのだ。
滂沱の流れをそのままに、膝をついたバブルは、ガラス円柱にもたれかかる様に前のめりに倒れこむ。縋る彼に手を翳し、スプラッシュは額を透明な壁につけ、ただひたすらにバブルを慰めていた。
修復に立ち会いたい、とバブルがワイリーに申し出たのは、それから数時間後の事だった。それなりの理由を適当にでっち上げていたとはいえ、老博士は意外なほどあっさりと、息子の懇願を承諾したのである。
スプラッシュ達ライトナンバーズの修復……改造当日、バブルは自室のパソコンの前に座っていた。見つめる画面にはロボットの修理についての説明と、それに関わる図解が写っている。申し出た手前、せめていくらかの知識は携えていなければ、と彼はそう考えたのである。
画面の端のデジタル時計に目をやり、息を吐くとともに画面を閉じた。その時がいよいよ近づいたのだ。電源を落とし、暗くなる画面を見つめながら、ワイリーに立ち会いを申し出た時の事を思い出す。
あの時の彼は、拍子抜けするほど簡単に許可を下していた。事情に深く立ち入られると覚悟していたのに、そうでなかったものだから、逆にこちらが呆気に取られてしまったほどなのだ。
確かに、あの老人はいくらかの利益が見込めるのなら、簡単に許可を下す所がある。それをバブルは理解していたが、それゆえに不安を誘っていた。逃げられない場所まで引きずり込まれるような、底なし沼に足をつけてしまったような、そのような感覚が拭えないのである。
だが、決断を下してしまった以上、もう覆す事は出来ない。臍下丹田に力をこめ、深く息を吐いてから、バブルは少し派手に音を立てて、椅子から腰を上げたのである。
「それでは、修復および戦闘用への改造を始める。方針として……」
電源を落とされたライトナンバーズが、作業台の上に横たわっている。その中にはもちろん、スプラッシュの姿もあった。水の揺らぎで和らげられていた傷は、保護のない空気の中では痛々しく見えた。
「……が担当してくれ。そして……バブル、聞いているのか」
レシーバーに老博士の大きな声が響いた。驚いて彼の方を見れば、眉間に皺を寄せている。謝罪と共に頭を下げると、彼はふん、と小鼻を膨らませた。
「精密作業なんだ、心ここにあらずでは困るぞ。……バブル、お前は初めてだからスプラッシュウーマンの腕の修復をしてもらうぞ。しっかり直してやれ、次に……」
下った指名にバブルは目を見開いた。水中用同士だからなのか、それとも博士は何かを察しているのか、それともただの偶然なのか。可能性はいくつも考えられるが、しかしスプラッシュの修復を自分が行う、これは事実だった。呼吸を繰り返し、動力炉を落ち着かせようと試みるが、跳ねる物を止めるのはなかなか難儀である。説明が終わるその時まで、バブルはずっと心を落ち着かせようと必死だった。
ワイリーの号令と共に、それぞれが動き始める。バブルもそれに倣い、スプラッシュの所へと駆け寄った。
(腕の修復か……)
深い亀裂の走る腕を手に取り、震える掌で傷を撫ぜる。捲れ上がった装甲があまりに気の毒で、今すぐにでもこれを癒したかった。しかし。
(これを直したら……次は改造になる……)
博士の言葉からそれはないのかもしれないが、ふと、一つの不安が頭をよぎった。……修理と改造を終えた後、彼女はどのような姿になってしまうのだろう。戦闘を行うに、スプラッシュの体はあまりにも細かった。最後まで戦い抜き、生き残るためには、今の姿から大分変化しなくてはならないが……。
「……いやだ……」
自分の想像が恐ろしくなり、彼は大きく首を横に振った。妄想を振り落したかったのだが、これがなかなかしつこく、こびり付いて取れないのだ。
彼女には生きていてほしい。それは例え戦う為の存在になってしまっても、変わらぬ願いである。しかし、その為にスプラッシュの存在を証明する為の物の、半分を消失させてしまっていいものなのだろうか。
白い手を握り締め、恐る恐る顔を上げる。他のナンバーズが真面目に修復を行い、ワイリーがその為の指導をしている姿が目に入った。彼はこちらの方に気づいていないが、いつこちらに神経を向けるかわからない。
(せめて、腕の傷は綺麗に直しておこう。せめて、これだけは……)
静かに細い腕を置き、機具に手を伸ばす。頭に叩き込んでおいた作業手順をもう一度引き出し、彼女の腕を引きちぎろうとしている暗闇を塞ぎに、バブルは取り掛かる。
前腕部分の装甲を慎重に外し、上腕を守る耐水スーツを捲り、内部機関が見える状態にする。ヒビの走る人工骨格にパテを塗し、途切れかけたコードを取り換えて繋ぐ。雨水のせいか、関節部分のパーツが劣化していたのでそれも取り換える。
作業は、そのほとんどが滞りなく進んでゆく。その順調さにバブル自身も驚いたが、同時に危機感も覚えていた。……このまま作業を進めてゆく事が良い事か。苦痛を失くすのは、ほぼ間違いなく正しい事である、……普通なら。だがこの作業の終わりにあるのは、優しい物ではなく、もっとひどい結末なのだ。
次第にバブルの腕から速度が奪われていった。あれほど滑らかだった動きが、まるでつる草に巻き付かれたかのように鈍くなっているのだ。
「ほう、バブル、どこまで進んだか」
悩み苦しむ中、後方から父に覗き込まれ、バブルは声を出して仰け反った。
「そんな驚く事ないじゃろ。それとも何か失敗でもしたのか?」
「そんな事はないですよっ」
咄嗟に語気を強めてしまい、しまった、とバブルは焦ったが、老人はさほど気に留めないらしい。
周囲に目を向ければ、コンクリートマンとトルネードマンは修復を終えて、改造の準備に入っている。更にグラビティーマンが、カートにいくつかの部品を載せて、こちらに来ているのだ。
(ああ、もう)
微かな眩暈と熱を覚え、バブルの体が不安定になる。
これで、見納めになるのだろうか。彼女は、どんな風になるのだろうか。
頭の中を通り過ぎる想像に息を詰まらせる間も、時は残酷に過ぎてゆく。作業台にはスプラッシュに使われる素材が、次々と並べられてゆく。それを眺めるバブルの目は、居座る部品が多くなるのに比例して大きく見開かれていった。
「……博士」
「ふむ、初めてにしてはなかなか……ん、どうした?」
ワイリーが視線と向けるのと同時に、バブルは作業台に並ぶ物達を指さした。
「これ、は一体どういう事ですか」
戦闘用の改造、となれば、使われる物はどれもが無骨な部品のはずだ。だが、今そこに置かれている胸部などの装甲達は、その全てが廃棄される前の彼女が付けていた物と、寸分変わらぬデザインなのだ。
「一体……とはどういう事じゃ?」
「だって博士は、戦闘用に改造すると仰っていたじゃないですか。でも、これは」
何が言いたいのかわからん。そう言いたげな顔をして、ワイリーは並べられた部品のうち、胸部の装甲を手に取り、バブルに渡した。
「ほれ、よっく確かめてみろ」
真意を隠す老人を、バブルは懐疑の目で見つめていたが、それを手の中の物に向ける。無心に眺め、撫で擦るうち、装甲の素材と厚みが全く違うものである事に気づいた。
息子の表情が変わった事を察知したのだろう、ワイリーはわかったか、と今度は作業台に置かれた頭部の装甲に手を置いた。
「構造や動力炉との兼ね合いで、スプラッシュウーマンは他の連中より弱い素材になってしまったが、それでも相当強化しとる。……バブル、ワシは戦闘用に改造するからと言って、こいつらの姿形をまるっきり変えるつもりなんぞ、端から考えておらんかったぞ」
詳しく話してなかった、ワシが悪いんだがな。
最後に言葉を付け加え、ワイリーはバブルの手から胸部の装甲を取り上げる。
「なぜ、だって」
声はするりと出てこなかった。何かを聞きたくても、どの単語がふさわしいのか、バブル自身ですらわからなかったからだ。しどろもどろの息子を見つつ、老人は僅かに目を細めた。
「元の姿のままでいてくれた方が、全てにおいて都合が良いから、と言っておこうかのう。それに、ワシは今回の事で、計画を完遂するつもりもないしな」
それは、と更なる言葉をバブルは望んだが、それを告げる前に父から肩を叩かれる。
「なに、そのうちわかる。……ほれ、そろそろ修理を終わらせてやらなきゃ気の毒だろうが」
促されバブルはようやく意識を取り戻し、彼女の腕の前に顔を向けた。傍らに置いていた工具の類を持ち、慌てて残っている修理部分を直そうと取り掛かるが。
「そんな慌ててやって、乱雑に直すなよ。可愛い彼女が可哀想だろう」
「な……っ」
父からの思わぬ言葉に、バブルは持っていた道具を落としそうになった。必死に工具を持ち直す息子を見つつ、思わぬことを口にした父は、ぺろりと舌を出していたのである。
数多の魚の群れを引きつれ、人魚は紺碧の世界を駆ける。天真爛漫の笑みを浮かべ、水の抵抗も気にせずに泳ぐ彼女の背中には、綺麗な羽が生えているようだった。
(やっぱり、スプラッシュは、広い海の中にいるのが一番だ)
その彼女の後を追いかけながら、バブルは満足げに一つ頷いた。
全ては、呆れかえるほど順調に終わってしまった。廃棄されかけたライトナンバーズを使った、Dr.ワイリーによる第九次世界征服計画は、ロックマンの活躍により未然に防がれた。スプラッシュとその兄弟を死へ追いやろうとしたロボット新法は廃案となり、彼女たちは無事、元の職場へと戻る事が出来たのである。
(ワシは戦闘用に改造するからと言って、こいつらの姿形をまるっきり変えるつもりなんぞ、端から考えておらんかったぞ)
メンテナンスルームでの父の言葉を思い出し、バブルはふと足を止めた。
(博士は、本当、どういうつもりであんな事を言ったのだろう……)
傍に寄ってきた、小さな魚に指の先を噛ませながら、ぼんやりと考える。……ただ世界征服をするだけだったならば、ライトナンバーズをもっと戦闘に適した物へと改造するはずである。いいや、むしろ一から自分で作った方が、もっと都合がいいはずなのだ。
(Dr.ライトに泥をかぶせる為に、こんな風にしたって言う人もいるけれど……)
それならば、なぜ、彼はわざわざ人前に出てきたのだろう。密告ならば、方法は他にいくらでもある。金の為だ、としたって、今回の様にあんな莫大なほど手に入るとは限らない。後々を考えれば、身を隠していた方がずっと有益なのだ。
思考の海を泳ぐバブルに、赤い魚が近寄って来る。それは指で遊んでいたもう一匹を突き、くるくると周囲を回る。一緒に泳ごう、そう誘っているようだった。遊んでいたその魚は、誘う一匹に気づくと連れだって遠くへと泳いで行った。
(……ワイリー博士は、ライト博士の知名度を利用して、こうしたんじゃないかな)
人の良い、温厚なDr.ライトが製作したライトナンバーズが、ロボット新法に異を唱えて暴動を起こす。それは有象無象のロボットや人が反対運動を起こすより、悔しいかな、ワイリーが声を上げるよりも、ずっと訴求力を持っている。現にこの騒動の後、人々はこの法律に疑問を持ち、新法を廃案に持ち込んでいるのだ。
(でも、それだけじゃ不十分だ。これだけじゃ、ライト博士は罪人のままだし、ライトナンバーズだって、処分されてしまう)
そこを見据えて、ワイリーは、父は告発者になったのではないだろうか。ロックマンが舞台に出でる事を見据えて、全ての罪が自分の所に来るように仕向けて……。
そこまで考え、バブルは少しだけ首を横に振った。いくらなんでも贔屓が過ぎている、と。かの老人も、名乗り出たのは金が欲しかっただけであり、ライトナンバーズを使ったのは、腹の立つライトに少しでも汚名を着せたかっただけだ、と鼻で笑うに違いなかった。
だが、それでもバブルは自分の説を信じていた。あの、スプラッシュを修理した時の、父の呟きを、彼は今でも覚えていたからだ。
「バブル、どうしたの?」
考えに染まる頭に、スプラッシュの優しい声が下りてくる。顔を上げれば、追ってこない自分を心配してだろう、不安な表情を浮かべた彼女の姿が目に入ってきた。
「大丈夫だよ、ちょっと色々考えていただけなんだ」
伸ばしてきた細い腕を手に取り、それを標にして彼女に近づく。その中で、ふと、バブルはある事に気が付いた。
「……スプラッシュ、腕は直してもらってないの?」
え、と彼女は己の細い腕に目を落とす。あの深い傷が走っていた腕には、バブルが施した修理の痕がほんのりと残っている。新しい腕に取り換えられていると、そう考えていたバブルにとって、これは大変不可解な事だった。
「初めてだったから、あんまり上手じゃないし、だから……」
口ごもるバブルに、スプラッシュはその頬に触れながら笑みを浮かべた。
「博士は、もう少し綺麗にするよって、言ってくれたけれど……断ったの。だって、貴方が直してくれた腕なんですもの」
人が目にして、不格好であっても、愛する人が癒してくれた場所であるから。僅かな凸凹の覗く場所を、スプラッシュは愛おし気に撫ぜている。
彼女の言葉が、体に沁み込み、隅々にまで広がってゆく。胸の中がいくつもの感情で一杯になった瞬間、バブルはスプラッシュを力一杯抱きしめたのである。
終わり
小説のリクエスト様、お待たせしてしまい本当に申し訳ありませんでした。
楽しんでいただけたら幸いです。
リクエストありがとうございました。
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