日差しで暖められた潮風は、甘い匂いに染まって心地よく、目の前に広がる海原はコバルトブルーと翡翠が混ざり、なんとも穏やかな色合いである。柔らかな波音に海鳥の鳴き声が付き添い、更に人々の歓声が加われば、世界は長閑以外の何物でもなくなる。
「まっさか、こんなとこにワイリーナンバーズの基地があるなんて、だーれも思わないボヨねー」
細かく砕いた氷を目いっぱい入れたグラスに、E缶の中身を注ぎ込む。ストローとパイン、それからランの花を添え、ブルー・ハワイ風に演出した物を白いテーブルに載せ、アクアマンはご機嫌だった。彼が陣取っている場所は、リゾートホテルのテラスのように華やかだが、そこから少し離れれば、無機質な機械類が並んでいた。
「あとは倉庫の整理と、機械の調整をして、でもその前に小休止……」
「どーもこんにちはー」
ゆったりとしたサボリ……もとい、休憩時間を過ごそうと、ひとまずグラスを手に取った、その途端に声を掛けられた。敵襲か何かか、と慌てて警報を鳴らそうと、アクアマンはテーブルをなぎ倒して立ち上がったが、装置の手前まで来て、その足はぴたりと止まった。
「……ってぇ、なんだネプチューンのお兄ちゃんか」
声のした方を冷静に見れば、そこにはずぶ濡れの半魚人が立っている。やれやれと胸を撫で下ろし、アクアマンは倒したテーブルを直す。立ち上がった衝撃か、白い椅子も派手に吹っ飛んでいた。
「ごめんなさいね、まさかそこまで驚くとは思わなんだで」
「いやまあ、よく考えればここカムフラージュ装置とか働いているから、滅多な事で人は来ないわけだし、世の中後ろ暗い事している時はビクビクするってのがよく分かったボヨ」
テーブルを元に戻し、奥からもう一つ椅子を持ってくると、アクアマンはネプチューンに勧める。礼儀正しい彼は礼を言うと、体の水分を払ってからそれに腰を掛けた。
「E缶、E缶……あ、お兄ちゃんはストレート? それともオイラのみたいにする?」
「アレンジが効いた物も、たまにはいいかもしれないですね、アナタとおんなじのでお願いします」
「りょうかーい」
キッチンへと走ってゆく丸い背中を見送り、ネプチューンは目の前に広がる海原へと視線を向ける。人の気配があるからだろうか、ここはいつも眺める青い世界と違い、あしらえた物のように思える。しかしそのような見え方に、嫌悪は感じられなかった。
「お待たせ~、ブルー・ハワイ、アクアマン風お持ちしました~」
潮風を楽しんでいる最中、波音に陽気な声が混ざる。アクアマンの方へ視線を動かすと、レストランの給仕係の様にグラスをテーブルに置いてくれた。
「お客様のには特別、オレンジとチェリーをつけてみました~、楽しんで行ってね」
少し大きめのグラスには、カットされた果物がいくつも添えられている。パフェかなんかじゃなんだから、とネプチューンは苦笑しながら、ストローを青い液体の中へ差し込んだ。
「でもよくここがわかったねぇ。つい最近作った場所だったし、ばっちり隠してあったんだけど」
「ウェーブとバブルさんに聞きましてね。にしてもワイリー博士も大胆ですね、まさか観光地の近くにこんな基地を設けるなんて」
通常、基地と言えば無人島や森の中など、とかく人目につかない所が好まれるものである。だがここは、リゾートから、本当にさほど離れていない場所に位置しているのだ。
「基地、って言っても戦闘用じゃなくて、倉庫とか、中継地点みたいなものだけどね。そういう性質の所だったら、灯台下暗しの精神で、人目の中にいた方が便利なんじゃないかしら? オイラは良くわかんないけど」
そういうものかしらん、とストローに口をつけ、青い液体を飲み込む。いつもの物と違い、果物の風味がつき、更にひんやりとしていて、なかなかの美味だった。
「なにか長所がなければ、作ったりなんかしませんもんね。はは、案外、ここの景色目当てだったりして」
「そんな事は……あり得るかも。博士は意外と、そう言ったとこで楽しんじゃう人だし」
ふと、アクアマンのグラスに目を向けると、先ほどに比べて半分ほど減っている。一体どこから飲んでいるのだろう、と疑問に思ったが、ウミネコの声にそれはすぐにかき消された。
「このように眺める海、と言う物もなかなかいいですね。芸術作品を見ているようで……」
「あらそう? ウェーブ兄ちゃんと反対ボヨね」
あら、とアクアマンを見ると、彼は不満そうに眼を細めた。
「作り物みたいであんま好きじゃないって、前言っていたね。オイラは結構、ここから見る海はお気に入りだから正直ショックだったボヨ」
「なるほど……でも、なんとなくカレの言い分もわかります。ウェーブが好きなのは、人以外の生物が行き交う、自然の海、ですからね。ここは人の気配がありますから、人工的な雰囲気をカレは感じ取ったんでしょう」
ストローをマドラー代わりにして、中身を掻き回し、もう一度海原を眺めた。遠くに黒い影が見えるが、きっと誰かがヨットを出しているのだろう。
「変なの、同じ海なのに、そんな違いがあるもんかしら」
言葉に少しは納得したか、アクアマンの表情から不満は一応姿を消している。吸い口が少し潰れたストローで、彼もまた、氷の割合が多くなった自分のグラスの中を掻き回していた。
「そりゃあありますよ。ここは観光地ですから、ある意味整っています。これが漁港に行けば洗練された空気がなくなって、荒々しい活気に染まっていますし……海の中に入ったら、変化はもっとすごい物になります」
熱っぽくなった空気を冷ます為、ネプチューンはもう一度エネルギーを飲み下す。氷が少し解けたのだろうか、味が僅かに薄くなっていた。
「なるほどねぇ……オイラは海水の中って入れないから、いまいちわからなかったけれど、そういうもんなのか。……そう考えたら、人嫌いのウェーブ兄ちゃんがあんな風に言ったのも、道理ってもんなのか」
「そういう事です。……でも、私はこういう海も好きですよ。華やかさがあって、とても長閑ですから」
日差しが強く照り返し、波が煌めく。翡翠の色が、一瞬透明になったように見えた。
微かな笑い声が聞こえ、もう一度アクアマンの方へと目を向ける。今度は不満も完全に霧散し、彼の顔にあるのは笑みだけだった。
「どうしたんです?」
「いや、なんか自分が好きな物を好き、と言ってもらえるのが嬉しいなって、思ったもんで」
オイラの顔には合わないかもしれないけど。言葉を付け加えたが、やはり恥ずかしくなったらしく、アクアマンはグラスを手に取り、後ろを向いてしまった。その姿に微笑ましい物を感じ、ネプチューンもまた破顔する。
和やかな日差しの中、同じものを好む二人は贅沢な時間を思うさま味わっていた。
終わり
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