町の大通りを走る少女がいる。両手でぬいぐるみやおもちゃや、その他多くの物を抱え、きっと公園でも行くのだろう、その顔は朗らかに笑っていた。
しかし、短い腕で多くを持ちすぎていたからだろう。小さなウサギのぬいぐるみが拘束から躍り出て、ころり、と地面に転がった。少女も気づいて振り向くが、 そのウサギを取ろうとすると、おそらく他に抱えている物達も、きっと落ちてしまうだろう。とはいえ、ウサギをそのままにしておくわけにはいかない。
思案する少女の前で、ひょい、とうさぎが持ち上がる。誰かが拾ってくれたのだ、と彼女は笑顔を作り、恩人に礼を言おうと口を開いた。
「ありが……と、う」
普通なら、五文字の言葉はすらすらと出て来ただろう。だが少女は、拾った誰かの正体を知った途端、セリフを詰まらせ、顔を少し強張らせたのだ。渡されたウ サギを必死に抱え、小さくお辞儀をして、彼女は先ほどよりも早く駆けてゆく。その様子を、少女の恩人―― ロボットは、無機質な目で眺めていたが言いつけられた作業を思い出し、踵を返していった。
「………………」
大通りの片隅にある、小さな商店の前に立つ老人は、目の前の出来事をただじっと、黙って見つめていた。AIを持たぬ、道具と成り下がった作業用ロボットが繁茂して以来、何度このような光景を目にしただろうか。
(心を持った者だったならば、あんな風な応対はしないだろうな)
昔、いや、ほんの数年前の光景を思い出し、溜息を吐く。きっとその時ならば――心を持つロボットが数多くいた時代ならば、少女は笑顔のまま恩人に礼を言ったであろう。落し物を拾ったロボットも、それに笑顔で答えていたに違いない。
「お待たせしました、いやあ、すみません、時間をおかけしてしまいまして」
店主の声に後ろを向くと、彼は人の良い笑顔を浮かべて持ってきたダンボールを作業台の上に置いた。埃で汚れ、角が凹んだ箱には「グリース ロボット用」と擦れた字で書かれている。
「新しい店員を入れたんですが、何分覚えが悪いモンで……ロボットだと、教えるのも楽だったんですが」
バーコード面を拭い、旧式のレジスターに打ち込んでゆく。店の奥からは、ドタバタと騒がしい足音が聞こえるが、きっと彼の言う新しい店員の出しているものなのだろう。
「前にいた……ロボットの彼は」
「ええ、期限が来たんで、保管場に行きました。今頃はゆっくり寝ている事でしょうよ」
店主は少し遠い目で、寂しげな笑みを浮かべる。きっと、長い付き合いだったのだろう。
「本当は、あいつの代わりもロボットにしようかと思ったんですよ。でもあいつみたいに、人格がある奴はえらく高くなってしまって私らでは手が出せなくて……だからって、そういう風なのじゃない奴は冷たい感じで、お客からの評判も良くないって言うからねぇ」
釣銭を老人に渡し、店主は買い上げの目印となる包装紙をダンボールの側面に貼り付ける。老人は掛け声をかけてそれを持ち上げると、店の奥から店主を呼ぶ悲鳴に近い声がした。
「はいはい、今いくよ、っと、すみません、ありがとうございました」
頭を下げた後、ぶつぶつと店員に言いながら、店主は向こう側へと歩いてゆく。その姿を見届けた後、老人は息を吐いて入り口へと向かう。ガラス戸を開け、脇に立っているフードで身を覆ったロボットに声をかけた。
「すまん、待たせたな、ゼロ」
「大丈夫です、ワイリー博士」
黒いフードの隙間からは、金色の髪が見えていた。
町を駆け巡る風は寒く、人々を背を丸めてその中を歩いてゆく。彼らに混じってロボットもいるが、彼らに表情はなく、微動だにしない鋼鉄の面を空気に晒している。それらを時々見やる、生き物の目はこの風よりも冷ややかだった。
荷物を持ったワイリーとゼロは、雑踏の中その光景をただひたすらに眺めていた。ほんの数年、たった一つの法律が制定されたのを節目に、世界は異様なほどに様変わりしていた。
ロボット新法の廃止から数年、人々はロボット共に道を歩んできた。小さな過ちはあるが、それを乗り越えるたびに両者は歩み寄り、未来は明るいものと思われてきたその中で、ある法律――ロボット休止法の制定が、世界ロボット連盟で可決されたのだ。
この法律は、ロボットの過剰供給の他に、数年前からの世界的なエネルギー不足、長期使用しているロボットの状態悪化等を考慮して作られたものだ。
ある期限に達したロボットは、家庭用工業用問わず一定期間休止状態にされ、その間、体は連盟が作った、保管場に送られる。移送されたロボットの体は部品の 交換や整備が行われ、休止期間終了後、新品に近い状態で戻ってくる、と言うものだ。ロボット新法と違い廃棄されるわけではないし、新法の時と違い情勢など が悪化している為、反対意見はほとんどなかったと言う。
かくて、ロボット休止法は施行された。多くのロボットが目覚めた時の世界を、その中で働く整備された自分を想像しながら眠りについた。人間たちも、新しい体に生まれ変わった彼らを思い描きながら送り出したのである。
しかし、程なくして、このような噂が流れる事となった。
「ロボット保管場に送られたロボット達は、整備される事なく、廃棄される」
「保管場の警戒がおかしなほど厳重だが、それはロボットをこっそり廃棄しているのをばらされたくないからだ」
と。どの話も不穏な物ばかりだった。
これに対し連盟は、一年に数度、保管場を公開したり、マスコミの取材にはきちんと応対する等適切に情報を公開する事で対処していた。
建物の警戒が異常なほど厳重な理由についても、Dr.ワイリーを始めとした悪人が休止中のロボットをさらい、戦闘用に改造するのを防ぐ為だ、と説明した。 ロボット新法時、廃棄場に置かれていたロボットが悪用されたと言う事実が連盟の話の信用度を強化し、故に多くの人々は噂をホラだと笑ったのだ。
休止期間はエネルギー不足が解消されないから、雇用問題が解決していないから、ともっともらしい理由の元、人々が違和感を覚えない程度にじわじわ引き伸ば されていく。戻ってくる者がいないまま、保管場へ移送されるロボットの数だけが増えていったが、不気味だと思う人は少なかった。
(誰も、おかしいと思わなかったのか)
寂れた公園の片隅、ペンキの剥げかけたベンチにゼロと共に腰を掛け、老人は考える。
(出る者がなければ、いつか満杯になると、なぜ誰も思わない……いや、思わないのだろう)
胸ポケットから取り出したタバコに火をつけ、煙を燻らせる。鉛色の煙はすぐに空の中に溶け、後には何も残らなかった。
(人間とはそう言うもんだ。それらしく取り繕ったものを見せられていれば本物だと信用する。全て明言していると言われれば、それを信じる。……その裏で何が起きていようと……)
細い紙の筒がくしゃりと曲がり、灰がポロリと落ちた。普通なら慌てそうな事態だと言うのに、ワイリーはそんな素振りもなく、ただ苦々しい表情を浮かべるだけだった。
(……ロボットが廃棄されていようともな……)
老人はこのロボット休止法と、その保管場に疑問を持った数少ない人物だった。彼は自身の持ちえる能力を使い、独自に調査を行った。
数ヶ月かけて出た結果は、完全なる黒だった。流れていた不穏な噂は真実であり、収容された彼らはコアや動力炉など、内部の一切を廃棄、ないしは軍需産業な どに売り払われるなどされ、外観だけを残されていたのである。しかもこの事態に、政治家や資産家、マスコミ、更には一部の者を除いた多くのロボット工学者 が関わっている事に、ワイリーは強い衝撃を受けた。遠い昔に離脱したとは言え、志を共にしていたはずの者達が、名誉、知識、その他多くの欲に駆られて道か ら外れた事をしていると言う事実は、人間に対して失望していた老人を、それ以上の暗い淵に落とすのには十分なものであった。
(結局、ワシが言った事が、正しかっただろう)
吸殻に何かの姿を投影し、地面に叩きつけて、すりつぶす。くの字に曲がったそれは紙が破れ、茶色い屑の腸が飛び出し、枯葉に混じって判別がつかなくなっていった。
(貴様のやり方では、死ぬ者が増えるだけだ。今だって、あの新法の時だって、何人殺した? お前の理想郷が出来上がるまでに、何人を犠牲にするつもりだ? お前はそれを、あの時と同じように、打ちひしがれて泣いて、黙っているだけか? ―― )
名前を呼ぼうとしたが、代わりに唾を吐いた。この事態を、上層のヤツが、ロボット工学の父などと謳われている男が、知らぬはずがないのだ。だのに、彼はこの新法が施行されて以来、姿を現していない。
(ロボットの生産も―― 夢見て作り上げた心を持ったロボットの生産も制限され、街にいる多くは旧来の「道具」だけだ。人間は、見てみろ。ロボットを血のない者と、次第に敬遠し始めている。このままだと、おい、ロボットは、このままだと、全滅させられるぞ、おい、―― )
爪が食い込むほど強く拳を握るも、痛みは感じなかった。それから……諦めたような溜息をすると、隣に座っているゼロを見る、が、彼はそこにいなかった。どこにいったか、と探すと、ゼロは花壇の前に立っている。今度は安堵の息を吐き、ずるりとベンチに身を預けた。
(一緒に来させたのは失敗だったかもしれんなぁ)
ゼロは未完成のロボットである。身体機能や武装は完成しているが、彼独自の心だけが作られていなかった。今、ゼロに備え付けられているのは、作業用ロボットに用いられる、感情の発露が僅かに見られるだけの希薄な物だった。
常であるならば、ワイリーは前者二つが完成した時点で心を組み込んでいた。それを躊躇した理由は、彼の迷いに他ならない。
最初に作り上げた物は、冷酷な破壊神のそれだった。その心を持ったゼロは戦闘訓練でも上々の成績を上げ、それ自体はワイリー自身も満足のいくものであっ た。しかし、ある戦闘訓練の最中、ゼロは相手になっていたクラッシュマンとナパームマンを、全壊に近い形に追い込んだのである。ワイリーはすぐに彼を拘束 し、与えた心を取り外した。
修復を終えたクラッシュマンとナパームマン、拘束されたまま行動停止状態にされたゼロを前に、ワイリーは強く後悔していた。
(これで良かったのか? これが、お前が望んだ夢の決着なのか?!)
三人に謝罪を繰り返す老人の頭に木霊するのは、若い頃の自分の叱責だった。顔を上げて、幻影の自身を見ると、彼はひどく憤慨してた。
(こんな道具のような心を与えて、それでお前は満足なのか、Dr.ワイリー?! お前は負けを認めると言うのか!)
その言葉に言い返す権利は、ワイリーにはなかった。倒れた二人を足蹴にし、冷え込んだ笑い声を上げるゼロは、自身の破滅願望を詰め込んだ、ただの道具だったのだから。
それから、ワイリーはゼロを封印状態にしていた。すぐに新しい、人と同じ心を与えるのが良いはずなのに、彼はそれが出来なかった。
(人と同じ心を持って、ゼロは果たして幸せになるだろうか?)
たった一つの懸念は、それである。今の時代、人間の汚さをまざまざと見せ付けられる世界で、心を持ったゼロは果たして幸福なのだろうか。鉄鋼で作られた、ただそれだけで奇異の目で見られる世にいるというならば、いっそ冷酷な物を与えた方が良いのではないか、と。
その考えを押し止めるのは、理想に燃え、まだ人を信じていた若き日の自身だった。
(今ここで屈すれば、ロボットはただの道具となり、共に生きる者としての道は永遠に閉ざされるんだぞ? お前はそれでいいのか? あの時に言った言葉を忘れたのか?)
問いかけられる言葉全てが心に突き刺さるが、子供じみた駄々でしか追い払う事が出来なかった。
老い過ぎたのだ、と老人は笑う。もう少し若ければ、迷いなく彼の言葉を受け入れただろう。しかし今の自分にそれは酷な提案にすぎなかった。
(あの時の……ルーラーズの時に逃げていた、アイツの心も、こんなものだったのか)
仰いで眺める空は、何年も前のスペースルーラーズ強襲の時とは違い、ひどく穏やかで明るい。あの時も地獄であったが、今もまた種類は違うが、地獄に変わりなかった。
(……奴はあの時這い上がる事が出来た。ならば、天才たるワシだって出来るはずだ。……はずなのだ)
視線を花壇の前に立つゼロに向ける。封印していた息子を連れ出したのは、彼に背中を押して貰うためでもあった。世界を見て、自身も持ちたいと思ってもらい たいと、そう願ったのだ。あまりに悲しく、自分勝手な願望だったが、そうでもしなければならないほど、ワイリーは精神的に弱っていた。
(立ち上がれ、苦しみから逃げるな、あの作戦までに……)
「博士、博士、すみません」
ゼロに呼ばれ、ワイリーは硬くしていた拳を少しだけ解いた。どうした、と言いながら近づくと、彼は一輪の花を指差す。
「博士、この花はなんなのでしょう?」
ゼロが興味を示した花は白色で、その花びらは奇妙な事に、陶器のような光沢を持っていた。花などとんと興味を持たなかった老人は彼の問いに困窮していたが。
「ああ、それはねぇ、貝殻草って言うんですよ」
助け舟を出したのは、掃除をしていた中年の女だった。世の実情を知るワイリーはいささか警戒するが、ゼロは彼女の言葉に、ほんの僅かだが目を輝かせた。
「かいがらそう、ですか? 花なのに海の物の名前がついているのですか?」
「えーえ、ちょっと触って御覧なさい、貝殻みたいに花が硬いですから」
女はゼロの手を取り、花びらに触れさせる。カサリ、と花に似つかない、乾いた音がした瞬間、彼の目の輝きは更に増したのだ。
「本当だ、確かに花びらが硬い。博士も触ってみてください」
息子に促され、ワイリーもまた花に手を伸ばす。指の先で恐々と触ると、それは名前の貝殻ほどではないものの、折り曲げれば割れてしまいそうな硬さを持っていた。
「貝殻草はムギワラギクとも呼ばれていて、ドライフラワーなんかにするのにもいいんですよ、花の色が残りますから。花言葉は永遠の記憶とか、思い出とか、そういったものでしたねぇ」
「永遠の記憶か、確かにこの硬い花には相応しいな」
顔を綻ばさせ、正直に感想を述べると、女もまた柔らかく朗らかな面を作った。
「育てやすい花ですからねぇ、これは。お兄さんも今度育ててみるといいわ。花育ての上手な人は、女の子にモテるから」
「花を……」
いきなり話を振られ、ゼロは戸惑った顔を作り、視線でワイリーに助けを求めてくる。肩を竦め、父親は息子の手を取った。
「まあ……一度は考えてみますよ。それでは失礼します」
手短に挨拶し、そそくさとその場を去る。手を引かれたゼロが、一瞬後ろの花に目を送ったような気がした。
排気や動作音が不気味に響く狭い部屋は、巨大な機器類ですし詰めとなり、人一人が歩くのがやっとであろう。その室内の中央に位置する寝台にゼロは身を横た え、その脇にある椅子には、Dr.ワイリーが座っていた。彼の前にある液晶モニターは、様々なグラフと多くの数字の羅列で、隙間ないほど埋まっている。
デジタルな機材に囲まれる中、アナクロな書類に手を伸ばそうとした時、ふと視界に入ったゼロが、何か言いたげな顔をしていることに気づいた。彼も父親の様子を察したのか、気まずそうに視線を逸らしたのである。
「どうしたゼロ、何かあるなら正直に言いなさい」
尋ねるも、ゼロは答えない。遠慮でもしているのだろうが、その態度が彼の事情も相俟って、痛々しいほどいじらしかった。
「ゼロ、黙るのは時に大事だが、それも過ぎてはいかん。何かの大事に繋がるかもしれんからな。どうしたんじゃ?」
母親が子供に尋ねる時のような、優しい調子でゼロに語り掛ける。最初こそ戸惑った表情で目の前の老人の顔色を窺っていたが、それも僅かな間だった。もごもごと唇を動かし、彼はようやく口を開いたのだ。
「博士、お願いがあります。どうか、私に、心を作ってください」
言葉を聴いた途端、胸に強く、重い痛みが走った。それは喉の奥へ、頭へと、昇り広がってゆく。あれほど五月蝿かった計器の音も、何も聞こえない。ただ、自身の心音が耳元で鳴っているかのように大きかった。
掌のねとつきを感じながら、じっと目の前の我が子の顔を見る。彼は父親を、ひどく真摯な瞳で射抜いていた。
「なぜ?」
尋ねても、彼は理由を言わない。ただじっと、老人を見つめている。見つめられているワイリーも、二文字を口にするのがやっとで、その後はただだんまりを決め込んでいた。
望んでいた答えなのだ。誰でもなく、ゼロ自身に背中を押してもらいたいと、心を持つ事を望んでもらいたいと、そう思って外に連れ出したのだ。だのに、なぜこんなにも手足が冷え込んでいるのだろう。
「なぜ?」
吐き出した二度目の問いかけは、言った自身もわかるほど、弱さが滲み出ていた。もし、三回目を言ったならば、その時は完全に崩れてしまうかもしれない、そんな予感すらするほどだった。
「……博士、私たちは花壇の前で、どこかの人と会話をしましたよね」
「あ、ああ……」
「あの時、博士と、話しかけてくれた、女、の人は花を前にして笑っていました。でも」
その時を思い出しているのか、ゼロは目を僅かに閉じ、切なそうな、悔しそうな顔をする。そして溜息が混じった声で続きを始めた。
「私は博士達のように笑う事ができませんでした。動力炉は今までになく動いているのに、体を巡る物は沸き立っているのに、私はそれを表現出来なかったのです」
彼の言葉を聴きながら、ワイリーもその時を回想する。珍しく表情を和らげた自分と、朗らかに笑う女の後ろで、そういえばゼロは遣る瀬無い瞳をしていた……。
「私に心があれば、博士やあの人と同じように花に笑い、深く言葉を交わす事ができたでしょう。でも、私にはそれが出来なかった」
愕然とする父に追い討ちをかける、と言う意図はないだろう。しかしゼロは、更に自身の心情を訥々と告白するのである。もしかしたら、この希薄な心を入れてからずっと、彼はこんな気持ちを抱え続けてきたのだろうか?
「博 士、私もあの人と一緒に、あの人のように、博士と笑って会話をしたいのです。あの花……かいがらそうを、いえ、かいがらそうだけではなく、様々な物を見 て、笑い合ったりしたいのです。……博士、もう一度お願いします。どうか、私に心を作ってください。博士達と同じように、世界を見る心が、私は欲しいので す」
ワイリーは息を飲んで、ただじっとゼロを見つめていた。
自分の企みは見事に成功したのだ。息子は、自分から心を、破滅を望むものではない、人としての物を望んでいる。それを喜ぶべきなのに、どうしてだろう、よし、と頷けないのだ。
「ゼロ」
はい、と返事をする子供の頭を手で撫でる。去来するのは、これまで人間がロボットに行ってきた所業と、公園で見た花だった。
「……心はお前が思っているような、心地よいものばかりを与えてくれるわけではない。それでも、お前は心が欲しいか? 人と同じ物を持つ覚悟があるか?」
ワイリーはじっと、我が子の瞳を見据える。向かい合った彼も、目を逸らす事無く、意思を持って父を見つめる。計器の音だけの世界の中、ゼロは力強く頷いたのだ。
体中から力が抜けて行くようだった。しかしそれは悪い憑き物が落ちたような、気持の良い物だった。
(もう、迷う必要など、ないんじゃないか?)
若き日の自分が肩に手を置く。いないはずの後ろに視線を送り、口の中でああ、と頷くと、幻影の自分が笑った。
「……わかった。お前が覚悟を持ったと言うなら、ワシも腹を括らねば、なぁ」
小気味よく太腿を叩いてゼロに笑いかける。彼が決めたと言うなら、覚悟があるならば、もう止めてはいけないのだ。
計器類を稼動させ、コード等をゼロに繋げてゆく。スリープモード移行の指令を出し、机の中にしまっていた一枚のMDを――ゼロの為に用意した、新しい、人間らしい心がプログラムされた物を――取り出した。
「大丈夫です博士」
眠そうな、静かな声が耳に届く。振り返ってゼロを見ると、彼はほんの僅かに、笑っていた。
「人は花に名前をつけ、それに意味を持たせ、そしてそれを見て笑い合い、話し合う事が出来るのです。いつか必ず、心を持ったロボットにだって、そうしてくれる日が再び来ると、思うのです。だって、博士も、あの人も、笑う事が出来たのだから」
開いた指に手を添え、軽く握り返す。最初こそ反応を示したが、次第にそれも薄くなっていく。
「ああ、……そうだな、ゼロ」
答えた言葉は彼に届いただろうか。遠くの希望を語った子供は、静かに眠りの中に落ちていった。
「博士、お時間です」
カプセルの前に立ち尽くすワイリーに、シェードマンは声をかけた。言葉にいつもの軽い雰囲気はなく、重く暗い空気が纏わりついている。
「私 を除くセブンス、エイスは世界の主要都市に、フィフスとシャドーマンを除くサードはロボット保管場に、セカンド、キラーズは我がワイリー基地に、それぞれ 配置が完了しています。また、宣言と共にロボット休止法及び、それに伴うWRUの汚職等の情報を全世界に流す準備も整っております。後は……」
ちらり、と誂えたマントを纏う老人に視線を投げる。
「……博士の心次第です」
始まりを促すように窺っても、彼は動かなかった。ただじっと、装置の中で眠る最後の子を見つめているだけだった。
「…………」
最後の決戦となるだろう日に至るまで、ワイリーはゼロの調整を続けていた。新しい心を組み込んだ事で生まれた、目に余るバグは全て潰した、はずである。……再び目覚めた時、ゼロは人と同じ心を持つロボットとして世を生きるであろう。正常に起動すれば、だが。
踵を返したワイリーは、脇に控えたシェードマンを伴って、部屋の出口へと歩いてゆく。最後の一歩を踏み出す前にもう一度振り返り、カプセルの中で眠るゼロ に頭を下げた。彼は、自分と一緒に貝殻草を見たいと言っていた。しかし、その願いが叶う事はおそらくないに等しいものだった。
(WRUや、政府の連中はおそらくわしを殺すだろう。……自分達の計画に邪魔となっている、DRNやDCNを道連れにさせて、な)
だから、とワイリーは願う。自分の代わりに、ゼロと共にあの花を見てくれる者が現れるように、と。自身の身と引き換えに、彼と共に笑い合う者がいる世に なってくれるようにと。……信仰など当に捨てた身であるはずなのに、と自嘲気味に笑う後ろで、重い扉が静かに閉じられた。
街頭ビジョンには、いつもと変わらないニュースの画面が映っている。人々はそれに目をくれる事無く、談笑したり、或いはもくもくと目的地を目指したりなどしながら、道を歩いていた。
普段と変わらない朝の光景を、高らかな笑い声が止めた。大型の液晶画面にニュースキャスターの姿はなく、代わりにマントをつけ、ドクロが踊るネクタイを締めた老人が映っている。
「ごきげんよう、諸君! お久しぶりだな、悪の天才科学者、Dr.ワイリーだ!」
終わり
一介の読者様、大変お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。
ワイリーの心情を掴むのがなかなか難しく、こんなに遅れてしまいました。
それでも楽しんで頂けたら嬉しいです。
リクエストありがとうございました。
PR